暑い、もう朝から。
わたわたわた、わたわたわたと日々が過ぎるので、本当にきちっと仕切りなおさないと部屋も物事もメチャクチャになっていく一方です。がんばって古紙ゴミ出せて大満足です。古紙ゴミ、土曜の朝だから出しそびれる確率が高過ぎる。
ここのところずっと、まあ具体的に云うと……森さん激怒事件以来考えている事があって。
ブログには本当にリアルタイムで考えた事を書いていってるんだけど、それの善さ・悪さというのが当然あるわけです。
その書き飛ばし具合、とにかく勢いとムードでドカーンみたいな事を書いていって、こぼれ落ちたもの、言い損ねてるものがあるだろうなあと。
で、一番気になってるのは『信じられないものは信じてないと言っていい』と云うことで、いや、たしかにそうなんだし、そうするつもりでいるのだが、それを実行した時に自分も『アンタなんて信じてねえんだよ』と云われるシビアな世界に踏み込むわけですよ。
『自分がされて厭な事は、人にしてはいけない』と云うが、『あなたの言ってる事を信じられない理由はコレコレです。』という理由がハッキリしていないと駄目だなあと。
人物がイヤなのか、状況がイヤなのか、自分の性向に合ってないからイヤなのかをちゃんと解っている事。
それをごた混ぜにして後々まで持ち越さない事。(かなり厳しい)
それを相手の目の前で説明する事はまれだろうけど、理由のあるなしは大きいだろうなあ。
つまりですよ。
事を荒立てるようなことに手を出すというのなら、それだけの覚悟をして、きちんと理由も明らかにして、間に第三者が入るような事を出来るだけしないでアクションしないと、根本的な自分の不満は解決しないということ。
話し方にも技術が必要だろうし。
本能とか魂が発達していて健康な人なら、お互い得るものも多いだろう。
あと、気になっていたのは『逃げる』ということ。
みなさんご存知のように私はもの凄く『逃げ足が速い』。自分に合わないものをヤレとかイヤな事に巻き込まれそうな時、もの凄い早さで逃げるが、逃げた事を知っているし、逃げたと云う。逃げた事でイヤなやつ呼ばわりされても仕方ないと思っている。
それはもうシンプルに遁走で、命とか生活を守る為にするんだけど。
でも逃げ場、何処に逃げるかと云うことは厳しい選択と思う。
負けた時(逃げる時は勝負を放棄してるんだから勝ち負けなんか関係ない)の理由付けも関係してくるかも。
これもまた人それぞれの性向に依るんだろうけど。ここをテキトーに流すと、遁走後の日常の立ち上げが難しくなってくるだろうなあ。
『責任』ということも考え中。
もの凄い抽象的な言葉なのに、人によって捉え方は様々なのに実生活でバンバン出てきてノイローゼになりそうな勢いですよ。
これは考えるというより、この人にとって『せきにん』ってこういう事なのね、と云う感じでたくさん採集するというのが一番のような気がする。
何か過失を犯す。
『ごめんなさい』と謝る。
→でも過ちはなかった事にはならない。
過失が、ある状況に発展する。
→モノが壊れた、それを新調する。
→誰かが気落ちした、メンタルヘルス面でケアする。
それを何とかせい、過失を犯したもんが、金銭的に負担しろ。法の裁きを受けろ。
→出来る場合は金銭的に負担する。裁きを受けて警察なんかの施設に入る。社会的につるし上げに合う。
→自分の自由の一部を失うかも知れない。(職場にいられない、地元を離れなきゃ、もうあの店に行けない)
それでも。それでも過ちはなかった事にならない。
結局、どうやって赦してもらえるか。
でも赦す、ということは相手の気持ちの問題なので、過失を犯した人がドノコノできる問題ではない。
罪と罰、という考え方が出てくる。
罪と罰は同じ重さではない。ここがもの凄く不条理なんだけど。
罰を与えられる人は罪を犯した事のない人だけ、という話があるけど、そんな人類は存在しない。
じゃあ、何もかも野放しなのか。それも困る。
死刑を13人も執行した大臣が死神と云われてるけど、死神といったコラムニストがバッシングを受けてる事からもわかる。
例えば、私が過失を犯したとする。
流れ流れて、刑をうけたり損害賠償(そんなお金ないよ!!)したとする。そして、さらに赦してもらえなかったとする。
どうするか。
たぶん私は自分を尊重して、残った人生を大切に大切に生きて行くと思う。
そして出来るだけ過失を犯さないようにする。少なくとも、同じ失敗だけはしないようにすると思う。
それが私にとって『せきにんをとる』ということ、学習するということ。
ニューエイジっぽくカルマとか言えば、少しは気がラクかも。
的を外した戦いをして、逃げ場を間違えて、過失を免れようとしたとする。(とりあえず凄いな。)
でも全て自分に返ってきますよと。
とにかく個人の心構えみたいな話になってきて、訳が分からないが、魔女狩りみたいになったり無闇に排斥って云う方向にならないで欲しいと思う。責任をとる事を『つるし上げに合うこと』と捉えるのは、確かにそういう一面もあるんだろうけど何も発展しないし辛いだけだ。
たくさん生きれば生きるほど、働けば働くほど、不利なカードが増えていく。
自分に矛先が向くまえに人の欠点を暴いてやれということにもなっていきかねない。そんな状況で過失を犯さないでいるのは至難の業になるだろう。
とにかく余裕をもっていたいなあ、自分の生活にも、他人との距離にも。
とても難しい事だけど。
わたわたわた、わたわたわたと日々が過ぎるので、本当にきちっと仕切りなおさないと部屋も物事もメチャクチャになっていく一方です。がんばって古紙ゴミ出せて大満足です。古紙ゴミ、土曜の朝だから出しそびれる確率が高過ぎる。
ここのところずっと、まあ具体的に云うと……森さん激怒事件以来考えている事があって。
ブログには本当にリアルタイムで考えた事を書いていってるんだけど、それの善さ・悪さというのが当然あるわけです。
その書き飛ばし具合、とにかく勢いとムードでドカーンみたいな事を書いていって、こぼれ落ちたもの、言い損ねてるものがあるだろうなあと。
で、一番気になってるのは『信じられないものは信じてないと言っていい』と云うことで、いや、たしかにそうなんだし、そうするつもりでいるのだが、それを実行した時に自分も『アンタなんて信じてねえんだよ』と云われるシビアな世界に踏み込むわけですよ。
『自分がされて厭な事は、人にしてはいけない』と云うが、『あなたの言ってる事を信じられない理由はコレコレです。』という理由がハッキリしていないと駄目だなあと。
人物がイヤなのか、状況がイヤなのか、自分の性向に合ってないからイヤなのかをちゃんと解っている事。
それをごた混ぜにして後々まで持ち越さない事。(かなり厳しい)
それを相手の目の前で説明する事はまれだろうけど、理由のあるなしは大きいだろうなあ。
つまりですよ。
事を荒立てるようなことに手を出すというのなら、それだけの覚悟をして、きちんと理由も明らかにして、間に第三者が入るような事を出来るだけしないでアクションしないと、根本的な自分の不満は解決しないということ。
話し方にも技術が必要だろうし。
本能とか魂が発達していて健康な人なら、お互い得るものも多いだろう。
あと、気になっていたのは『逃げる』ということ。
みなさんご存知のように私はもの凄く『逃げ足が速い』。自分に合わないものをヤレとかイヤな事に巻き込まれそうな時、もの凄い早さで逃げるが、逃げた事を知っているし、逃げたと云う。逃げた事でイヤなやつ呼ばわりされても仕方ないと思っている。
それはもうシンプルに遁走で、命とか生活を守る為にするんだけど。
でも逃げ場、何処に逃げるかと云うことは厳しい選択と思う。
負けた時(逃げる時は勝負を放棄してるんだから勝ち負けなんか関係ない)の理由付けも関係してくるかも。
これもまた人それぞれの性向に依るんだろうけど。ここをテキトーに流すと、遁走後の日常の立ち上げが難しくなってくるだろうなあ。
『責任』ということも考え中。
もの凄い抽象的な言葉なのに、人によって捉え方は様々なのに実生活でバンバン出てきてノイローゼになりそうな勢いですよ。
これは考えるというより、この人にとって『せきにん』ってこういう事なのね、と云う感じでたくさん採集するというのが一番のような気がする。
何か過失を犯す。
『ごめんなさい』と謝る。
→でも過ちはなかった事にはならない。
過失が、ある状況に発展する。
→モノが壊れた、それを新調する。
→誰かが気落ちした、メンタルヘルス面でケアする。
それを何とかせい、過失を犯したもんが、金銭的に負担しろ。法の裁きを受けろ。
→出来る場合は金銭的に負担する。裁きを受けて警察なんかの施設に入る。社会的につるし上げに合う。
→自分の自由の一部を失うかも知れない。(職場にいられない、地元を離れなきゃ、もうあの店に行けない)
それでも。それでも過ちはなかった事にならない。
結局、どうやって赦してもらえるか。
でも赦す、ということは相手の気持ちの問題なので、過失を犯した人がドノコノできる問題ではない。
罪と罰、という考え方が出てくる。
罪と罰は同じ重さではない。ここがもの凄く不条理なんだけど。
罰を与えられる人は罪を犯した事のない人だけ、という話があるけど、そんな人類は存在しない。
じゃあ、何もかも野放しなのか。それも困る。
死刑を13人も執行した大臣が死神と云われてるけど、死神といったコラムニストがバッシングを受けてる事からもわかる。
例えば、私が過失を犯したとする。
流れ流れて、刑をうけたり損害賠償(そんなお金ないよ!!)したとする。そして、さらに赦してもらえなかったとする。
どうするか。
たぶん私は自分を尊重して、残った人生を大切に大切に生きて行くと思う。
そして出来るだけ過失を犯さないようにする。少なくとも、同じ失敗だけはしないようにすると思う。
それが私にとって『せきにんをとる』ということ、学習するということ。
ニューエイジっぽくカルマとか言えば、少しは気がラクかも。
的を外した戦いをして、逃げ場を間違えて、過失を免れようとしたとする。(とりあえず凄いな。)
でも全て自分に返ってきますよと。
とにかく個人の心構えみたいな話になってきて、訳が分からないが、魔女狩りみたいになったり無闇に排斥って云う方向にならないで欲しいと思う。責任をとる事を『つるし上げに合うこと』と捉えるのは、確かにそういう一面もあるんだろうけど何も発展しないし辛いだけだ。
たくさん生きれば生きるほど、働けば働くほど、不利なカードが増えていく。
自分に矛先が向くまえに人の欠点を暴いてやれということにもなっていきかねない。そんな状況で過失を犯さないでいるのは至難の業になるだろう。
とにかく余裕をもっていたいなあ、自分の生活にも、他人との距離にも。
とても難しい事だけど。
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