『努力』解剖

今日も終わろうとしてる。うーん。

ずっと『努力』云々について考えていたのだが(しつこい)、例えば自分の得意分野のことを不得手としている人がブーブー言うのを聞いたら速攻『なにごとも努力じゃよ!』と言い放ってしまう質なので、ほんとうのとこ、努力なしというのは単に流されっ放しというか、人としてどうかとか思ってしまう。
そういう美徳に憧れる部分もあるんだけど。
で、努力って言うとどういうテンションかと云うと、たいてい自意識がビンビンにはたらいてるときで、『ああ、こんなにこなしてるんだから、上手く行くだろうなあ〜、できるようになりたいなあ。こんな自分てカッコいいし、ちょっとマゾっぽい感じもする〜。上手く行かんくても、この状態を見ててもらったら理由付けになるかも知んないし、責任とわれないだろうなあ〜。』とか思ってるフシがある。
なんか、こういう『努力』がもってる毒気というか、余計な部分って積もり積もるといやらしいなあ!。
着地点だけ見て、それにあわせて自分でコーチングしてるならともかく、下手なセンスですると単に時間つぶしみたいになってしまう。


じゃあどうすればいいの〜、と考えた時に浮かんで来たのがミュージシャンの矢野顕子さんが『ピアノ弾いてたら、ちょっとした風邪くらい治っちゃう』という、そういう集中のことを言うんではなかろうか。トランス状態とか催眠状態に近いのかも。理想に肉迫していく感じ。
それをなんて言うんだろう……と考えてた。たぶん、『夢中でやってる』と云うことではなかろうか。
夢中でやるというのは、盲目的というか闇雲さがなくて意外に周りの情報も入ってくるもんだし(ニューエイジ風に言ったら、『内なる神が働いている』)、おかしな付加価値を求めない。もてたいなーとか。


この辺がツボかしら!と思った。
人それぞれ、夢中になれるものと、なれないものが絶対にあるから、自分をよく知って行くのが基本かも。
私とてもじゃないけど車とか保険のセールスとか政治家とか出来ないわ〜という風にね。

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