静かに独りで選択すること。





年をいくぶん取ったせいか、貧乏暮らしが長過ぎたからか、若い頃のような潔癖性を維持しなくなった。
すくなくとも、自分の選択に関しては(誰とつきあうか、どんなお金の使い方をするか、何を食べるか、など。)好きにしてるが、他人に関して『放射能汚染されたところから、できるだけ早く避難しろ』とはだんだんと思わなくなって来た。

なるだけ早く逃げて欲しい、という気持ちはある。
あるけれど、それを口に出して言うことがどのくらいのトラブルを産むかを考えると、卑怯なことではあるが、『逃げたい人はもう既に逃げたあとだろう』という結論をだしてしまう。『逃げて来た人を、出来る範囲でサポートしよう』と。

『もんじゅ君』(@monjukun)的優しさを求められることがある。
もんじゅ君は誰も否定しない。
一度、若い人(10代)に『森さんは脱原発で、デモにも行ってるが、食べて応援しないんですか?、私ならします。』という指摘を受けたことがある。

『放射能を危ないと判断して、避難して来たからには、食べて応援するのはスジが通らないのでしない、食べて応援する位なら、まだあっちに居る』と返事したが、正しいと思う方向でスジを通そうとすると、客観的にはすごく排他的というか冷血的な振る舞いになってしまうようだ。

食べて応援するとか、放射能で汚染されたところに住み続けるというのは、身を以て『放射能安全』を証明することになり、原発推進という国策を支持することになる。
それでも、何の伝手もなく知らない土地で、生活を建て直そうというのは大変なことで、生まれ故郷に帰って来た自分でさえ生活が転覆寸前ということを考えれば、東北関東に住み続ける人たちをどうして非難することが出来ようか。

条件を幾重にも巻き付けて、自分の人生を肯定することは、アリだと思う。(放射能汚染にかんしては住み続けることで、流通などにより、汚染が拡大してるという側面もあるのだが)

少し視点をうつすが、若い人たち(または在日してる外国人)に迫る戦争に巻き込まれる危険性を述べるのも同じ事情があり、いま現在楽しく暮らしてるのに、何故そんな辛気くさいことを言って来るのだ?とか、まだどっちに物事が転ぶか解らないのに、見も知らぬよその土地で外国語を喋って人生築けるか?とかいう反論が出て来るのは容易に想像できるし、もっともな話だと思う。

みんな、納得して生きて行ってくれよ、とだけ強く願ってる。


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