自分のなかの嘘(2015)

大きな声でいうことではないので、こっそりブログに書いておく。

森はいま、生活費に困ったりしてないし、澄まし顔で過ごしてはいるが、アタマが混乱していて、いろいろ対策を練っているところ。

こういう時期は時々(数年ごとに)あって、まあ一番気楽な言い方をすれば『ホロスコープ上で何かが阻害されてんだろ』ということだが、深刻に考えると『頭の中で何か解らん事が進行中なんじゃ?』という感じで、なるだけ正直にすごしたいところ。

ボロがつぎつぎに出てくる。
それを理論武装しようとか、記憶を捏造しようとすると、本当にろくでもない事になるのは解ってるのだ。ものすごくポジティブに言えば『人生のデトックス』とも言えるけど、それすら演出なので、寄りかかってみる気がしない。

こういう時期って人生の中に巨大な嘘がある事が多い。

今、自分で認識出来る自分の中の嘘というのは2つあって、もう言っちゃうけど、若い人に対する共感が持ち辛くなって来たという事と、なんで外国に行かずに三重にいるのか?ということ。

若い人に関する事は対象があることなので、自分がこれからどういう態度をとるかというチョイスの問題なんだけど、外国に行ってないというのは、神経症的な何かが団子になってるわけ。いま、自分の心は2011年来、一番外国から遠いところに居る。

もー日本終わりやなという考えは疑ってない。
政治のニュース見ても、経済のニュースみても、新国立競技場の屋根がなくなるとかいうニュースをみても、到底、暖かな気持ちにはならない。

沈んでいく船に乗るというのは、もっと怖いものだろうけど、『あれも嘘だった』『これもハリボテだった』とどんどん辻褄があっていくのは、一種の知的好奇心を刺激すると言ってもいいかしらん。

それとも43歳になるまで積み重なった『全体の為に犠牲になれよ』という圧力に対する恨みが『あれほど巨大だった訳のわからない日本という組織が死にかけてやがる、ざまあみろ、もっと苦しめよ』という、苦しんでる日本を間近で見たいという欲求を満たしてくれてるというか、そういう部分もあるんちゃうかしら。

こえええ。

でもここで僅かながら知性とか理性がはたらいて、『いやいや、そんな事になったら、まず最初につぶされんのは自分やから。』という声が奥からして来て、そうかもなーと思ってる。

死に至る病を抱えた人が、この苦しみから解放されるのは病がもっと深刻になればいいんだと思うかどうか知らんが、そんな感じではないだろうか。

でもだからといって、日本政府頑張れとか、安倍チャンとか言う気にはなれないけどね。

おそろしい矛盾だよね、書き出してみるとね。怖いね。
いや〜、こんなジレンマがアタマにあると、物忘れが激しくなっても当然です。釈然としました。

世の中の流れがどうなっても、自分が自分のまんまで、こういう恐ろしいことにコミットせずに生きていくには、やはり外国に行くのが一番良いと思うなあ。

しばらくお金ためながら、語学と楽器練習やって、表面的には同じ事なんだけど、じわじわやるしかないわなあ。
これでアタマが少しでもスッキリしてくれたら、と芯から願うところです。




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