みやげ話。

帰って来たのは0時少し廻りましたが、無事お参りが出来ました。
本当に寺にだけいた。(あと、隣の東山魁夷美術館)
すばらしい暇さだった。
休憩の休憩の休憩の休憩っていう感じ。

往きの電車にいきなり(余りにも優雅に)乗り遅れてしまい、自分のやる気を疑ったが問題なくバスに乗れたし、渋滞もなく。
長野行きの素晴らしいところ、それは『山を見る』ってことだと思う。
はじめて見た時はこんな、インディアンの聖地みたいなとこが日本に在ってええんやろか?と激しく思ったものです。
3時間くらいバスに乗っていて、山の中を走るのは2時間くらいなのかも知れないが飽きることないですねえ。
帰りは暗くなっていたし爆睡してたので山見物どころではありませんでしたが。

それから、寺は意外にデートスポットらしくて、若い人がもの凄くいたし、家族連れもたくさん。
土産物屋さんも活気があって、始終、ああ奈良もこんなだったら良いのになあ……と思った。

お戒壇めぐりもした。
暗闇の中を歩くと云う、あれです。
『善光寺 真っ暗闇』とかでググると素晴らしいブログに素晴らしい体験談がわんさか出てきそうですが、もの凄く期待していったのに、何たることか、真ん前を歩いていたヤンチャがコワくなってきた頃にパカ、パカと携帯を開くのであった。
あああ、ココまで来た意味がないって!と思って、思わず足が出そうになりましたが、本尊の真下で人を足蹴にするわけにいかず、ぐっと我慢。その内彼も暗闇になれてきたのか、黙って歩くようになりました。
アレは『俗なことにも耐えなさい、むしろ、俗なことがあなたを救いますからね』という仏のメッセージだと思うことにする。

でも、確かに真っ暗だった。目の前の自分の手のひらが見えない。
瞳孔のストレッチって感じ。
頭上の圧迫感。足元の浮遊感。
それから、うちのおかんがパニックになったと云う土産話を親様に聞かされていたが、『おかんってカワイイ人ね。』(←外人イントネーションで)と思った。
ちゃんと錠前にも触ってきましたよ。

あと、もひとつ残念だったのは昼に食べた天そばの、『そば美味しい、おつゆ美味しい、天ぷら……何故か油が古かったのね。』ということか。
お陰で以後、あまりお腹がすかないはめに。(それはモタれてんですよ。)

新緑の季節でとてもよかったです。
善い区切りになったなあと。
写真も少し撮ったので出来上がりを見るのが楽しみです。

じゃあ、今日からお仕事頑張るかな。

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