おもいでばなし

も、朝からホラー!!な夢を見てぐんにゃり。
なんなんだよ、とその登場人物たちに言いたい。
ああ、血が……(またしても血かよ……)。

そして、今日のブログは辛気くさーい内容なので、朝から読まない方がいいです。
あと、鬱の人も読まない方がいいです。
これ昨夜バーって書いて、今朝アップ。

カルガモとか牧歌的なこと書いてる人と同一人物とは思えない。
でも書いとかないとあとで混乱する気がするので。



たとえば、の話。

生まれ落ちたところに、家庭が無かった。
育ったところに、家庭が無かった。
そんな人がいたとする。

とてもとても残念なことに、社会の一番小さな単位が家庭だとすると、その人は社会の一番小さな取っ掛かりで、凄まじい苦労をすることになる。

その人にとっては、ごくあたり前の、日常として。
家庭を持つ、大多数の人に交じりあって。

大人になって、家庭を持つようになるかも知れない。
だれかに強く奨められて、なんだか自分が消えてなくなるような気がして、猛烈な寂しさに耐えきれなく、運命に対するリベンジとして。
理由はいろいろあるだろう。

一人で生きる決意をする人もいるだろう。
新しい生き方を信じられなくて、背負う何かを他人に委ねるのがコワく、分かち合える何かを見いだせなくて。
それに、十分すぎる位、一人で生きる知恵はある。

社会の枠組みの中で生きることと、枠組みの内外を行き来するのとでは、まるで意味が違う。
ぐれる。
犯罪を犯す。
人権を尊重しろと叫ぶ。
毎日出社して、残業までこなす。
そういうことは社会の中でしか意味が無い。
一旦社会の外に出たなら、ぐれることに何の意味があるんだろう??。

それでも大抵の孤独な人は、驚くべき忍耐力で社会の中で暮らす。
社会をだまくらかしているわけではない。
自身が、みんなの親切やお情けやネットワークに支えられて生きていると知っているから。

せめて、みんなからは見えない論点で、みんなの役に立とう。
そういう社会への参加の仕方があるはずだ。

極端な喩えだが、自分もそういう傾向はある。
友達と思い出をかたる、自己紹介をする、ということがやりにくい。
トピックで話すことは出来る。
高校の修学旅行はね〜、なんと淡路島だったんだよ!とかね。
生まれてきてから今までを、物語のように一貫して語れない。
さすがに36歳だから、一言では語れないのね、という部分もあるけど。
どこかで、何かがブラックボックスのようになっていて、記憶が明瞭ではないし上手く説明出来ない。
いい加減なことを喋るくらいなら、黙っていよう。
あんまりにも黙っているので、一時は調べられたりしたようだ。


昼休み、おもいきり子供キャラだと思ってた子が(失礼な)結婚歴の話をしていたのを聞いたとき、胸痛く思ったのは『私にはこういう風に語れる内容が無いなあ。昔の事、話せないなあ。よく判らないから。』ということだった。

たとえば。
スニーカーを履きつぶすように家庭を渡り歩いたり、何度も結婚したり、肉親と生き別れたり。
もしそういうことが、自分の決断一つで自由に出来るジャンルであったなら。(巻き込まれる人はわりと多いだろう)
生きていくことだけを最重要な焦点に据えて、ただ真っ直ぐに自分だけ信じて生きていけたら。

そういうことを一通り想像してみて……それでも私は毎日仕事に来る人生を選ぶんだろうと思った。
日常は大事だよ。でも反逆するかも知れない。どっちに転ぶのか解らない。
何が正解かも解らない。

神さま。
偏りなく物事を見続けられますように。
決断力が磨かれますように。
必要な時に勇気と行動力が自分にありますように。

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