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良くなってくれるといいんですが。うん、きっと良くなっているんだろう。
朝からチェブラーシカを観てきた。日本語吹き替え版。
http://www.ghibli-museum.jp/cheb/
チェブ!。しかしチェブの可愛いのよりゲーナのマメさに胸を打たれる横着で心の冷たい俺!。
予告編で観たらすごい孤独感がひしひしと伝わってくるが、実際はそんなに孤独な感じがしなかった。ゲーナがマメだからか。
ああいう、ものすごい辛抱強さが自分が子供だった時の大人にあった気がするが、だからと言って、今の大人がまったく辛抱してないのかと云うと、違う面で辛抱してる気がする。
あと、チェブラーシカが字を読めないのを知ったゲーナのショックぶりは、『僕らの未来へ逆回転』のマイクと一緒なので、やっぱり識字というのはヨーロッパだとシビアな問題なんだなあとか。
(日本人て江戸時代には寺子屋とかがあって可成りの人が読み書き出来たっていうから、あんまり危機感ないんだと思う)
映像って人形アニメなんだけど、これ1ミリずつ動かしてるんだろうなあ〜というのとか考えてるヒマなかった。
日本語吹き替えっていうのもどうよ?と思うが、字幕読んでるのが勿体ない、ちゃんと画面を観てたい感じ。
しかし、全編ゲーナの献身っぷりが本当にすごい。それってもしかしたらチェブ以前の孤独の反動なのか?と思うと怖い。
やっぱり仲間が出来て本質的なところが解放されたんだと思いたい。
ゲーナのあの重さっていうのは、やっぱりヨーロッパだよなあ〜としみじみ。
それで、朝早くから出掛けてたわけだけど、やっぱり時間がギリギリ。
開演時間ぎりぎりに到着したら、カウンターでご婦人が何かのチケットを受け取ったの受け取ってないのの問い合わせ中で、呑気と云うか、強情と云うか、粘り強いというか、やり取りがナカナカ進まない。
でもここでイライラしたら自分が一番バカになるんだよなあと思って、斜め上を観ながら待っていたんだけど、やっぱり自分の番が廻ってきた時に、イライラした態度をとってしまうわけ。
それで、ああなんで自分ってこういうことでイライラするんだろう?とか、だったらもう少し早めに出てくればいいんだよって可成り正しいことを考えるんだけど、20代頃なら、うん、そうしよう、と思って済んでたのに最近は済まない。
何時までもぐじぐじしてる。ヒマなのか、子供返りしてるのか判らないけど、なかなかいい気分になれない。ちょっと考えた。
多分、ものすごく幸せになってしまったんだろうな……というのが取り敢えずの結論。
イライラしなくていい環境にいるのに、イライラしたがるのは以前の根強い習慣だったからだと思う。
イライラしたいために遅刻したり周りの人を観察してるんだと思う。
もの凄く努力して幸せな自分を赦したのに、自分ってなんてみっともないんだろう!って思いたがる。
それは深ーいループの構造になっていて、大きな幸せを感じて、幸せを発散しはじめると勝手にスイッチが入る。
『私はみっともないし、どうしようもない人間だから、いい気になんか死んでもなってはダメ』と思い込めば『ちゃんとモノを考えてる善い子』と扱ってもらえるという謎ワールドに突入する。全くのインチキだ。子供のとき、あっさり取り憑かれてしまった考えだ。
インチキだということは、いまは理屈で判る。
ああ、私ってやな子だな!(37歳だけど!)と思う時、心底思ってるとき、本当は現実的には、ものすごく可愛いことしてるのだ。
死んじゃえばいいと思ってる時、人を助けている。
人としてあたり前の行動とか欲求を持ってる時に、わがままなことをしてると感じている。
取り込まれそうになりながら、ちょっと待てよ?とおもう。
このわけ判らんマインドコントロールのせいで、一体どのくらいの平和な環境を壊してきただろう?。
酷いことしてきたな、と思うけど、今は紙一重のところで、流されまいと踏ん張ることが出来る。その瞬間はこの理屈を思い出せなくても、イライラしながらでも、踏ん張れる。
こういう感覚が襲ってきたときに、本当は、ものすごい平和で素敵な世界にいるということを、かすかに思い出せるようになってきた。
まだ若くて、健康なうちにコントロールが解けてきたのは、ありがたいことと思う。
整体の店を決めてきた。やっとだよ。正月休みが終わったら都合あわせて行ってこよ。
良くなってくれるといいんですが。うん、きっと良くなっているんだろう。
朝からチェブラーシカを観てきた。日本語吹き替え版。
http://www.ghibli-museum.jp/cheb/
チェブ!。しかしチェブの可愛いのよりゲーナのマメさに胸を打たれる横着で心の冷たい俺!。
予告編で観たらすごい孤独感がひしひしと伝わってくるが、実際はそんなに孤独な感じがしなかった。ゲーナがマメだからか。
ああいう、ものすごい辛抱強さが自分が子供だった時の大人にあった気がするが、だからと言って、今の大人がまったく辛抱してないのかと云うと、違う面で辛抱してる気がする。
あと、チェブラーシカが字を読めないのを知ったゲーナのショックぶりは、『僕らの未来へ逆回転』のマイクと一緒なので、やっぱり識字というのはヨーロッパだとシビアな問題なんだなあとか。
(日本人て江戸時代には寺子屋とかがあって可成りの人が読み書き出来たっていうから、あんまり危機感ないんだと思う)
映像って人形アニメなんだけど、これ1ミリずつ動かしてるんだろうなあ〜というのとか考えてるヒマなかった。
日本語吹き替えっていうのもどうよ?と思うが、字幕読んでるのが勿体ない、ちゃんと画面を観てたい感じ。
しかし、全編ゲーナの献身っぷりが本当にすごい。それってもしかしたらチェブ以前の孤独の反動なのか?と思うと怖い。
やっぱり仲間が出来て本質的なところが解放されたんだと思いたい。
ゲーナのあの重さっていうのは、やっぱりヨーロッパだよなあ〜としみじみ。
それで、朝早くから出掛けてたわけだけど、やっぱり時間がギリギリ。
開演時間ぎりぎりに到着したら、カウンターでご婦人が何かのチケットを受け取ったの受け取ってないのの問い合わせ中で、呑気と云うか、強情と云うか、粘り強いというか、やり取りがナカナカ進まない。
でもここでイライラしたら自分が一番バカになるんだよなあと思って、斜め上を観ながら待っていたんだけど、やっぱり自分の番が廻ってきた時に、イライラした態度をとってしまうわけ。
それで、ああなんで自分ってこういうことでイライラするんだろう?とか、だったらもう少し早めに出てくればいいんだよって可成り正しいことを考えるんだけど、20代頃なら、うん、そうしよう、と思って済んでたのに最近は済まない。
何時までもぐじぐじしてる。ヒマなのか、子供返りしてるのか判らないけど、なかなかいい気分になれない。ちょっと考えた。
多分、ものすごく幸せになってしまったんだろうな……というのが取り敢えずの結論。
イライラしなくていい環境にいるのに、イライラしたがるのは以前の根強い習慣だったからだと思う。
イライラしたいために遅刻したり周りの人を観察してるんだと思う。
もの凄く努力して幸せな自分を赦したのに、自分ってなんてみっともないんだろう!って思いたがる。
それは深ーいループの構造になっていて、大きな幸せを感じて、幸せを発散しはじめると勝手にスイッチが入る。
『私はみっともないし、どうしようもない人間だから、いい気になんか死んでもなってはダメ』と思い込めば『ちゃんとモノを考えてる善い子』と扱ってもらえるという謎ワールドに突入する。全くのインチキだ。子供のとき、あっさり取り憑かれてしまった考えだ。
インチキだということは、いまは理屈で判る。
ああ、私ってやな子だな!(37歳だけど!)と思う時、心底思ってるとき、本当は現実的には、ものすごく可愛いことしてるのだ。
死んじゃえばいいと思ってる時、人を助けている。
人としてあたり前の行動とか欲求を持ってる時に、わがままなことをしてると感じている。
取り込まれそうになりながら、ちょっと待てよ?とおもう。
このわけ判らんマインドコントロールのせいで、一体どのくらいの平和な環境を壊してきただろう?。
酷いことしてきたな、と思うけど、今は紙一重のところで、流されまいと踏ん張ることが出来る。その瞬間はこの理屈を思い出せなくても、イライラしながらでも、踏ん張れる。
こういう感覚が襲ってきたときに、本当は、ものすごい平和で素敵な世界にいるということを、かすかに思い出せるようになってきた。
まだ若くて、健康なうちにコントロールが解けてきたのは、ありがたいことと思う。
整体の店を決めてきた。やっとだよ。正月休みが終わったら都合あわせて行ってこよ。
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