炎天。
きのうは美容院あたりまで歩いて行くが、店が閉まっていたので(予約しろよ)引き返し、本屋に行ったのでした。
髪は今日切りに行こう。店も思い切って変えよう。
歩きながら、じぶんが怒ってることについて観察してみた。
怒りの矛先は、もはやどうでもいい。
何かをどこかで思い込んでしまい,それが裏切られたような気がして、おこってるのかもしれない。
裏切りということは、対象があってはじめて成立するもんだから、誰かが自分の予想以外のアクションをしてびっくりした、とか、何かがもの凄く不自然なプロセスをたどっているのが気味悪い、ということだと思う。
そういうことは、自分の視野が狭くなってるときにも起こるし、対象に対する関心度が低くなってるときにも起こるし、悪意や作為があることも考えられる。あと、これは対象側にも言えること。
やっかいなのは、そういう一種の喪失感みたいなもののストックというのか、処分や整理されてないもやもやが、きちんと記憶にない赤子時代にまでさかのぼって一挙に押し寄せてくるということだ。
こういうときに人はセラピーにいくのだなあ。(しみじみ言ってる場合か!)
それ以外の解決法としたら、その場全体をリセットするために、会社なら退職するとか、住環境なら引っ越しするとか、恋愛関係だったらパートナーと関係を解消するとかするんだろうな。
だいたい、いままでの私なら、すかさずリセットしていたのだが、さすがにこの年になると、
『もしかして、これってすっごい重〜くみえて、実はすご〜く表面的なもんなんじゃないだろうか??』
と思えるようになってきた。
つまり、ネイルサロンにいってデコラティブな爪にしてもらったけど、手タレの仕上がりとじぶんの仕上がりの違いに愕然としてるとか、そういうレベルの問題なんじゃ?と。
そこで、もう一つ解決法を考えてみた。
それは対象に『こういうもんだと思ってたけど、意外な方向にむいてるんで、あたしゃ(主語はあくまでも自分であること)びっくりしたよ!』ということをユーモアを持って話す(放す)ということ。
言いたいことがあるなら、自分を主語にして言いなさい、というやつだ。
アサーティブ・トレーニングを受けたことはないけど、10代の終わり頃に本を読んで実際に物事が激変したことがあったなあ。
あと、コミュニケーションとは真逆に行くのも手らしい。
ほぼ日の記事で吉本隆明さん(さんづけで良いのだろうか……)が糸井さん(さんづけ……)に語ってた(5〜7回目)を読むと、何でもかんでもコミュニケーションで解決というのもサッパリし過ぎという気もしてくる。
けっこうやり方があるからホッとするけど、やっぱり自分のスピードと対象のスピードが釣り合わないと何をやっても無駄になってしまう気もする。
それまではプリプリしながらエモーション(喜怒哀楽以前の素朴な感情)をあやしていくしかないのかな。
まあ、ここまで考えたら深刻そうに見えて一過性のもののように思えてきました。
後はおいしい飲み物でものんで、赤子のころの自分を可愛がってやるのが一番かな。
きのうは美容院あたりまで歩いて行くが、店が閉まっていたので(予約しろよ)引き返し、本屋に行ったのでした。
髪は今日切りに行こう。店も思い切って変えよう。
歩きながら、じぶんが怒ってることについて観察してみた。
怒りの矛先は、もはやどうでもいい。
何かをどこかで思い込んでしまい,それが裏切られたような気がして、おこってるのかもしれない。
裏切りということは、対象があってはじめて成立するもんだから、誰かが自分の予想以外のアクションをしてびっくりした、とか、何かがもの凄く不自然なプロセスをたどっているのが気味悪い、ということだと思う。
そういうことは、自分の視野が狭くなってるときにも起こるし、対象に対する関心度が低くなってるときにも起こるし、悪意や作為があることも考えられる。あと、これは対象側にも言えること。
やっかいなのは、そういう一種の喪失感みたいなもののストックというのか、処分や整理されてないもやもやが、きちんと記憶にない赤子時代にまでさかのぼって一挙に押し寄せてくるということだ。
こういうときに人はセラピーにいくのだなあ。(しみじみ言ってる場合か!)
それ以外の解決法としたら、その場全体をリセットするために、会社なら退職するとか、住環境なら引っ越しするとか、恋愛関係だったらパートナーと関係を解消するとかするんだろうな。
だいたい、いままでの私なら、すかさずリセットしていたのだが、さすがにこの年になると、
『もしかして、これってすっごい重〜くみえて、実はすご〜く表面的なもんなんじゃないだろうか??』
と思えるようになってきた。
つまり、ネイルサロンにいってデコラティブな爪にしてもらったけど、手タレの仕上がりとじぶんの仕上がりの違いに愕然としてるとか、そういうレベルの問題なんじゃ?と。
そこで、もう一つ解決法を考えてみた。
それは対象に『こういうもんだと思ってたけど、意外な方向にむいてるんで、あたしゃ(主語はあくまでも自分であること)びっくりしたよ!』ということをユーモアを持って話す(放す)ということ。
言いたいことがあるなら、自分を主語にして言いなさい、というやつだ。
アサーティブ・トレーニングを受けたことはないけど、10代の終わり頃に本を読んで実際に物事が激変したことがあったなあ。
あと、コミュニケーションとは真逆に行くのも手らしい。
ほぼ日の記事で吉本隆明さん(さんづけで良いのだろうか……)が糸井さん(さんづけ……)に語ってた(5〜7回目)を読むと、何でもかんでもコミュニケーションで解決というのもサッパリし過ぎという気もしてくる。
けっこうやり方があるからホッとするけど、やっぱり自分のスピードと対象のスピードが釣り合わないと何をやっても無駄になってしまう気もする。
それまではプリプリしながらエモーション(喜怒哀楽以前の素朴な感情)をあやしていくしかないのかな。
まあ、ここまで考えたら深刻そうに見えて一過性のもののように思えてきました。
後はおいしい飲み物でものんで、赤子のころの自分を可愛がってやるのが一番かな。
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