ありふれた獲物を新発見すること。

俺の夏休みも終わろうとしている……。

エルニーニョとか何とかいいながら、しっかりヘビーに暑かった。
こんな日に搬送してたら真剣に熱中症になってしまう。煮上がってしまう。
考えるだけでも恐ろしい。よかった、休みがあって。

髪は今日やっと切ってきました。
店は変えたけど,注文のコンセプトがやはり『平常、ヘルメットかぶる』なので、髪型自体は変わってないんじゃあ?。
でも美容師さんの尽力により、ずいぶん街の人らしくなりました。
その店、メニューにブレイズとかコーンロウとかあって、興味津々だったんだけど、店じたいが可愛いのでブレイズ頼むようなハードでロケンローな客は来ないらしい。
いまはエクステがメインとのこと。
自分は地毛の天然の色がたまらなく好きなので、カラーリングはしないんだけど、そのかわりに色付きのエクステしてもいいんだよね。きっと楽しいと思う。


休み中いろいろ考えたが、要はバランスが悪いということなんだと思う。
仕事は今まで以上に仕事!と思ってやろうと思う。
スポット仕事だと思って、一日一日ちゃんと過ごそう。
明日につなげようとか、昨日よりうまくやろうとか、考えないでやろう。
ラッキーなことも、ヘヴィーな要素もあるだろうけど、今日一日!と思ってやりきろう。引きずるからバランスがくずれるんだとおもう。
ただ、やろう。それだけで良いや。


髪を切りにいったあと、一旦出直して、町田の文学館に行った。
安野光雅画伯!の展覧会があったので。
何年か前に、図書館で『絵の教室』(中公新書)を借りて読んで、大して期待してなかったのに内容から言葉選びから端然としたムードからカミソリ一枚入れる隙のないアートワークに唖然として(自画像の章の実験はかっこ良すぎ)、本屋を巡ってその本を買ったという経緯があって。
ああいう、穏やかな良さが解るようになったというのは、ひとえに年の功だと思うんだが、じつはありゃすごくアグレッシブな部分や実験があるはず……と思ってる。
今回展覧会観る!というので、岩波新書の『絵のある人生』を買い求めたが、これは『絵の教室』のいわばデッサンのような本だった。

小学校の、2年生のときの国語の教科書に載ってた『チックとタック』の挿絵がそうだとは思わんかった!。覚えてるところがエゲツナイ!。
印刷物の展示と原画。原画は少ない気もしたけど、無料でここまでやってくれるんだから文句言いません。
思うに……、ファインアートを目指してワケ解らんくなってしまう要因に、
①アートのためのアートになってしまう。
②ある程度まで来たら、テーマに合わせて絵をデザインしちゃってOKとなかなか思えない。
というのがあると思うが、(少なくとも私はそう)そういう切り替えが天才的に早いんだと思う。
こなす量が多いから一つのことに頓着できないし、しかしネツッコさもあり、そこは何かにつけて『整理整頓魔』なのだろう。自分の舵取りがうまいのだ。器用すぎるくらい器用なんだけど、嫌味がない。
こどものときに、知らず知らずでも安野作品を観れたというのは得した気分。

時間と空間の枠のすっ飛ばしかた、微調整の仕方は『絵』じゃないとなかなかしんどいかも!。自分って『絵』のこと間違えて思い込んでたな。

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