休日。
昨日はかなり張りつめて仕事してたけど、ちゃんと帰って来れてよかった。
どんな仕事だよとか思うけど。
なんらかの軋轢がある時は、たとえ『これは自分の仕事だし、自分の家だし』という所まで放棄しないと回避できないことがある。
やり方としてはローテクもいいとこだと思うし、出来ればもう少し楽なやり方を見つけたいのだが、ふり返ったらそれで助かったということが多々ある。
じぶんは決して悪くない、絶対に譲らないと思っていたら、もっと早くに死んでたと思う。
そうはいっても、ここのところは底が割れるほどの損害もなくやり過ごせてるんで、今回もできれば上手くやりたい。
これしかない、ここしかない、という欠乏感が発生すると、パワーもでるけど、絶対に放すものかという執着心がおこるし、新しい可能性がつかめなくなる。
もはや転進する状況なのにサインを見逃すことにもなる。
森がこんなに一生懸命になるということは、これは森の弱点にちがいない、ものすごく旨味のある事柄にちがいない、辱めてやるにはもってこいだと思われることもない。
だからといって、仕事や住むところを粗末にしていいというわけではないけど。
なんてことのない、ありふれたものでも退屈なバイトでも、熱心にケアしたら自分にとっては大切なものになりうる。どうしようもない辛いとき、勇気がないときに助けになる。他力に頼りすぎることに慣れすぎると、こういう厚みを何処かで調達するしかならず、そういう時に人のしてることを横取りしたくなるのだと思う。
もし、自分が他人のものを欲しくて(完全に所有する為には破壊するのが一番有効と信じて)危害を与えることに頓着しなくなったとき、自分をディプログラミングする方法は、既に所有しているものに感謝することだと思う。そうすれば我に返ることが出来るとおもう。
(逆をいえば、自分の所有物に対して感謝できないということは、他人に危害を加えても別にいいと思っているという可能性が高まるということか。ここを煮詰めていくと、近寄ってはいけない人が解ってくるかもしれない。リスクを下げることも可能かもしれない。)
単純にハナシが通じないということより、こういう状況に100%の執着をする方が悲劇的だとおもう。独善に陥ることなく、自分と話し合えることがメンタルトレーニングということか。仕事もお金もなくして身体の安全や自由はあり得ないけど、ふと立ち返ることは必要だとおもう。
例えば加齢により、活動の幅を小さくして管理しやすくしたとして、そこを譲れよと要求されると困るが、その時にはそのときの回避のやり方を見つけておこう。
むずかしい世の中だけど、人生を複雑にすることなくそっと生きて行きたい。
昨日はかなり張りつめて仕事してたけど、ちゃんと帰って来れてよかった。
どんな仕事だよとか思うけど。
なんらかの軋轢がある時は、たとえ『これは自分の仕事だし、自分の家だし』という所まで放棄しないと回避できないことがある。
やり方としてはローテクもいいとこだと思うし、出来ればもう少し楽なやり方を見つけたいのだが、ふり返ったらそれで助かったということが多々ある。
じぶんは決して悪くない、絶対に譲らないと思っていたら、もっと早くに死んでたと思う。
そうはいっても、ここのところは底が割れるほどの損害もなくやり過ごせてるんで、今回もできれば上手くやりたい。
これしかない、ここしかない、という欠乏感が発生すると、パワーもでるけど、絶対に放すものかという執着心がおこるし、新しい可能性がつかめなくなる。
もはや転進する状況なのにサインを見逃すことにもなる。
森がこんなに一生懸命になるということは、これは森の弱点にちがいない、ものすごく旨味のある事柄にちがいない、辱めてやるにはもってこいだと思われることもない。
だからといって、仕事や住むところを粗末にしていいというわけではないけど。
なんてことのない、ありふれたものでも退屈なバイトでも、熱心にケアしたら自分にとっては大切なものになりうる。どうしようもない辛いとき、勇気がないときに助けになる。他力に頼りすぎることに慣れすぎると、こういう厚みを何処かで調達するしかならず、そういう時に人のしてることを横取りしたくなるのだと思う。
もし、自分が他人のものを欲しくて(完全に所有する為には破壊するのが一番有効と信じて)危害を与えることに頓着しなくなったとき、自分をディプログラミングする方法は、既に所有しているものに感謝することだと思う。そうすれば我に返ることが出来るとおもう。
(逆をいえば、自分の所有物に対して感謝できないということは、他人に危害を加えても別にいいと思っているという可能性が高まるということか。ここを煮詰めていくと、近寄ってはいけない人が解ってくるかもしれない。リスクを下げることも可能かもしれない。)
単純にハナシが通じないということより、こういう状況に100%の執着をする方が悲劇的だとおもう。独善に陥ることなく、自分と話し合えることがメンタルトレーニングということか。仕事もお金もなくして身体の安全や自由はあり得ないけど、ふと立ち返ることは必要だとおもう。
例えば加齢により、活動の幅を小さくして管理しやすくしたとして、そこを譲れよと要求されると困るが、その時にはそのときの回避のやり方を見つけておこう。
むずかしい世の中だけど、人生を複雑にすることなくそっと生きて行きたい。
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