職人気質について考えてみた。

ここのところのテーマというのか、考えざるを得ないネタというのが『職人』について。
自分はどっちかっつーと、すごくネチッこく真っ黒な性質があって(強迫観念に近いけど、もっと産まれ持ったもの)、その反動であっけらかんとしてる部分がある。若いころはそういう気質のすべてが生きにくい要素として、かつ、現実にアクセスする一番ふといパイプとして存在してた。ごっそり脱ぎ捨てることも出来ず、面倒くささのあまり全否定気分もあって、実にややこしかった。
最近は単に『それがラテン気質(推定)ってやつだよ』と気軽に思えるようになってきたが、やっぱり触れたくない部分。
で、職人について思う時、じぶんの職人スイッチのすぐそばに、この性質が控えているのが気になってしょうがない。

漆塗りとか、鳶職人とかいう一つのジャンルを極めるのは、やっぱり一種のラッキーガイというか、生まれおちた環境とか意識して引き寄せた環境でないと、ナカナカできない。
じゃあ職人というのは現代じゃあ滅多に見ないのかというと、むしろ逆で、職人にまみれて生活してる。
つまり、汎用性のある職人が多いというのか、経理をしてても営業しててもアスキーアート作っててもフォークに乗ってても、やってることが職人芸という現象が起こってると思う。
仕事ぶりに人となりが出てるだけともいうけど。

そういう視点で仕事をしてるとき、じぶんの技術の低さというのか、考え方の扁平さにガックリくることがあるわけ。
もっと指先の使い方を訓練しとけばよかったとか、一本スジのとおったデジタルの知識がほしいなとか、人の動かし方が稚拙すぎるとか。

あと、昨日のブログ(アップしたのが0時ジャスト……のために日付が6日になってるが、書いたのは5日。)にラウドが上司に舞い戻ってきたとか書いてるけど、本当のところ言いたいのは、わたしの真っ黒なラテン気質視点では、あんまりにもウチのチームがヘタレなので建て直しに戻ってきてくれたということ。
でもそんな真っ黒いことを書いたら、ラウドが難所チームの立ち上げのために去った日に『いつか卑屈になったりしないで同じ地平に立ってハナシが出来るように頑張らねば』という内容のことを書いた自分は恥ずかしくてどうしたらいいのか解らなくなる。
なので、『戻る必要なんか無いよ!』となるだけイヤな顔をして言ってたんだけど(げらげら)人事に影響を与えるほどのイヤな顔ではなかったらしく、戻ってきてくれたということらしい。

このように、職人気質というものは実にややこしいのだ。

でも今の世の中ほど、職人が求められてるのは無いかもしれない。いや、いつだってそうだったか。

じぶんも真っ黒さにおびえてないで汎用性のある職人を目指した方がいいのかもね。


今日は休日です。けっこう風が強いらしくベランダのハンガーがゴトゴトいってた。
この数週間、あろうことか、近所で工事をやってて、朝から電ノコの音とかカラビナのチャラチャラいう音とか聞いて休んでる気が一向にしない!、さぼってる感じ!。まったくもう!。

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