朝から雪が降っていたらしい、いつからかは解らない(寝てたから)。
ものすごく細かい雪が昼過ぎに降っていたが、その内ぼた雪になり、何度見ても納得いかないが積もり始めた。
なんで納得いかないかというと、昼過ぎから濡れた地面にぼた雪が積もるということが、奈良ではあり得ない。
積もるのは大抵夜の間だし、ぼた雪はすぐ消えてしまうし、地面が濡れてたらすぐ溶けてしまうから。
なのに、こっちでは積もってしまう。何度見ても混乱して自信まで揺らいでしまう。
なんて繊細なんだ。(違うか……)
そんな天候のなか、新百合ケ丘まで映画を観に行きました。
『玄牝』(『げんぴん』と読む。)河瀬直美監督。
なにこの妊婦さんカッコいい!、ていうか、ほんまもんのマサカリで薪を割っちゃう臨月の子!まじか??。
江戸時代の古民家に集う妊婦さんと助産婦さんと産婦人科医の吉村氏のドキュメント。
ここの妊婦さんは兎に角、動く動く。けものみたい……とよしもとばななさんはコメントされてるが、ほんとに生々しくしなやかに動いて廻ってる。生半可な肉体労働してる人より動いてるかも知れない。
そして、異端であるだろう吉村医師のコメントの数々。もはや医師と言う職業をとおして哲人の域にはいりつつも、娘にごねられたりしてる。
助産婦さんたちのミーティングも真剣そのもの。
自然分娩の素晴らしいところだけ描くのでなく、現代医学の技術もきちんと用いられ、危ないとなると帝王切開の為に救急車に乗せられて転院する人も居るし、残念ながらの死産の報告もある。
カルト的に昔風のものを何が何でもやってるというのではない、かなり中立な産院で、妊婦さんの状況も当たり前のことだけど、ほんとうに様々。
出産に際し、妊婦さんや赤ちゃんが死んでしまうことはタブーだというのは、死を否定してる。それは生を否定してることでもあるという吉村医師の考えは、非常にきびしい現実だが、ほんとうのことだと思う。
梶井基次郎の小説にもあったけど、死ぬということには誰も彼も、男も女もみんな免れることはない。身体の強い人も弱い人も、分け隔てなく死んでいく。生きることとか、死ぬことに執行猶予はない。いつも本番で常に時間は流れてる。
ここの妊婦さんの美しさというのは、十月十日の間の一大プロジェクトに意思も身体も行動も一本化して邁進している姿勢から出てくるもんだと思った。
そういうことは日常的にも存在してるだろうし、妊婦でなくてもそういう人は居るんだろうが、やはり出産となると集中の度合いが違うんではなかろうか。
生活や自分の身の上の重みを抱えつつも、執行猶予なしのイベントに身体一つで参加していく凄まじさ。
そういう抜き差しならない現実のなか、ふわりとミュージシャンがやって来て、何気にピアニカをふくのだが、それに感涙してしまう妊婦さんがいらした。
やっぱり、音楽とか芸術というのは、そういう抜き差しならない世界の隙間というか、遊び(playじゃなくてアイドリング状態)を作る、精神的麻酔みたいな役割もちょっとはあるんだろうな。
怖くて痛く、処理とか処置されて、赤ちゃんの心配より自分の身の上を案じて恐怖を抱く……という怖い目にあった人も、じわじわと自分を取り戻していく。虐待にはしってしまう親の気持ちも、もしかしたら無理ないのかも……とふと思った。それだけが原因ではないんだろうけど。
今日が最終日で、駆け込みセーフ的に観に行ったのだが、観れて良かった……。
河瀬直美監督は奈良の人で、ときどき喋りが入ってるのだが、吉野で大きくなった人らしく、ほんのちょっと発音が盆地の人より奇麗だ。(なぜか吉野……天川の人はとくに、イントネーションが完全に標準語。)
先入観で、ちょっと我の強いひとかなと思ってたけど、芯の強い人というほうが的確かも知れん。
以前に映画『MILK』を観た感想をブログに書いたが、じつは『MILK』の公式サイトのシアターのページでブログの記事のリンクが貼られていて、うちの駄文が載ってる。
最近気づいたんだが、別にそのことを怒ってるとかはないんだが、こういうのって何の連絡もないんだな……。
責任もって書かなくちゃあ。まあ、映画の良さをプッシュしてる点を買われてリンクされてるんだろうけど、ちょっとビックリした事件でした。
ものすごく細かい雪が昼過ぎに降っていたが、その内ぼた雪になり、何度見ても納得いかないが積もり始めた。
なんで納得いかないかというと、昼過ぎから濡れた地面にぼた雪が積もるということが、奈良ではあり得ない。
積もるのは大抵夜の間だし、ぼた雪はすぐ消えてしまうし、地面が濡れてたらすぐ溶けてしまうから。
なのに、こっちでは積もってしまう。何度見ても混乱して自信まで揺らいでしまう。
なんて繊細なんだ。(違うか……)
そんな天候のなか、新百合ケ丘まで映画を観に行きました。
『玄牝』(『げんぴん』と読む。)河瀬直美監督。
なにこの妊婦さんカッコいい!、ていうか、ほんまもんのマサカリで薪を割っちゃう臨月の子!まじか??。
江戸時代の古民家に集う妊婦さんと助産婦さんと産婦人科医の吉村氏のドキュメント。
ここの妊婦さんは兎に角、動く動く。けものみたい……とよしもとばななさんはコメントされてるが、ほんとに生々しくしなやかに動いて廻ってる。生半可な肉体労働してる人より動いてるかも知れない。
そして、異端であるだろう吉村医師のコメントの数々。もはや医師と言う職業をとおして哲人の域にはいりつつも、娘にごねられたりしてる。
助産婦さんたちのミーティングも真剣そのもの。
自然分娩の素晴らしいところだけ描くのでなく、現代医学の技術もきちんと用いられ、危ないとなると帝王切開の為に救急車に乗せられて転院する人も居るし、残念ながらの死産の報告もある。
カルト的に昔風のものを何が何でもやってるというのではない、かなり中立な産院で、妊婦さんの状況も当たり前のことだけど、ほんとうに様々。
出産に際し、妊婦さんや赤ちゃんが死んでしまうことはタブーだというのは、死を否定してる。それは生を否定してることでもあるという吉村医師の考えは、非常にきびしい現実だが、ほんとうのことだと思う。
梶井基次郎の小説にもあったけど、死ぬということには誰も彼も、男も女もみんな免れることはない。身体の強い人も弱い人も、分け隔てなく死んでいく。生きることとか、死ぬことに執行猶予はない。いつも本番で常に時間は流れてる。
ここの妊婦さんの美しさというのは、十月十日の間の一大プロジェクトに意思も身体も行動も一本化して邁進している姿勢から出てくるもんだと思った。
そういうことは日常的にも存在してるだろうし、妊婦でなくてもそういう人は居るんだろうが、やはり出産となると集中の度合いが違うんではなかろうか。
生活や自分の身の上の重みを抱えつつも、執行猶予なしのイベントに身体一つで参加していく凄まじさ。
そういう抜き差しならない現実のなか、ふわりとミュージシャンがやって来て、何気にピアニカをふくのだが、それに感涙してしまう妊婦さんがいらした。
やっぱり、音楽とか芸術というのは、そういう抜き差しならない世界の隙間というか、遊び(playじゃなくてアイドリング状態)を作る、精神的麻酔みたいな役割もちょっとはあるんだろうな。
怖くて痛く、処理とか処置されて、赤ちゃんの心配より自分の身の上を案じて恐怖を抱く……という怖い目にあった人も、じわじわと自分を取り戻していく。虐待にはしってしまう親の気持ちも、もしかしたら無理ないのかも……とふと思った。それだけが原因ではないんだろうけど。
今日が最終日で、駆け込みセーフ的に観に行ったのだが、観れて良かった……。
河瀬直美監督は奈良の人で、ときどき喋りが入ってるのだが、吉野で大きくなった人らしく、ほんのちょっと発音が盆地の人より奇麗だ。(なぜか吉野……天川の人はとくに、イントネーションが完全に標準語。)
先入観で、ちょっと我の強いひとかなと思ってたけど、芯の強い人というほうが的確かも知れん。
以前に映画『MILK』を観た感想をブログに書いたが、じつは『MILK』の公式サイトのシアターのページでブログの記事のリンクが貼られていて、うちの駄文が載ってる。
最近気づいたんだが、別にそのことを怒ってるとかはないんだが、こういうのって何の連絡もないんだな……。
責任もって書かなくちゃあ。まあ、映画の良さをプッシュしてる点を買われてリンクされてるんだろうけど、ちょっとビックリした事件でした。
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