見えないもの(放射能とこころ)。

一週間以上、更新あいちゃった……。

最近はご近所の観光ホテルの早朝バイト(修学旅行生さんの宿泊による繁忙時の厨房の手伝い)に週になんどか行き、ランチの時間帯はラーメン屋に行っています。
いろいろ思うことはあるのだが、うちのツイッターとラーメン屋のツイッターがリンクしてたりで、お客様がご覧になる可能性もすくなくないので、あまりアホなことも書き込めず……。

まあ、アホというのはとっくにばれてると思うんだが。(何を今更という感じ)


いま、奈良は観光シーズンまっただなか、外国からの訪問も多く、中国とかアメリカ、ドイツ……。奈良市内に住みだしたのは半年前で、以前と比べることは出来ないが、もしかして多いんじゃ?と思う。
ならまちは、町全体が一種のテーマパークみたいなもんで、気候がいいいま、歩き回るにはぴったりです。俺こそが歩き回りたい!。


そんな毎日だが、ここ二、三日は『早川教室に通う』と称して早川由紀夫さんのツイッターを見て回ってる。これはすごい、和風の予定調和がない。ものすごくアタマを使うし。私にもうひとかけらでも理系脳があれば、もうすこし理解が深まるんだろうが、基本的に気が合う感じ。(そんなおおざっぱな……)

『福島県を差別するか/しないか』を語るということは、つまり、
『放射能を怖いとおもうか/おもわないか』または
『放射能は有害か/さほどの害はないか』
『悪いのは誰だろう、政府や東電の原子力ムラか/風評被害を助長する消費者か/福島県の農水産の生産者か』
『福島県は原子力ムラの一員だろうか/利用されただけだろうか』
みたいなことを(もっと他にもあるはず)己の胸に手をあてて考える作業をしなくてはいけないということ。


自分は放射能こわくて仕事をほうりだして(収入も友達も、信頼関係も)逃げたが、その立場で言えば、『放射能は怖いし有害、どの程度人体に影響あるかは断言出来ないが、避けて損はない、意外に大丈夫かも知れんが、確かなことが解るまでは汚染が広まるようなことや産地の偽装はしてほしくない。』という、ごく平凡な考えになる。

だから、福島のひとよ、早く逃げてくれと平気で言っていたこともあるが、心底おどろいたことには、逃げろというとその分傷つく人がいるということだ。
そして、そういう人にとっては、自分のスタンスは福島県差別や福島県を馬鹿にした態度になってしまうらしい。


自分はだまってりゃそれで済むんだが、早川センセはかなりはっきり仰るので、じぶんなりの考えをいちいち確認することになった。自分がふつうと思うことの裏付けってむずかしいものだ。

宮崎県の口蹄疫の騒ぎのとき、さほどツイッターを見てたわけでないので、『いいじゃん、人体に影響ないんなら宮崎の畜産物を食肉にしてから全国に流通させちゃえよ』という意見をちらほらとしか聞かなかったように思うのだが、今、福島差別じゃん!と怒ってる人は、きっとそのときも『宮崎の食肉買うから流通させていいよ、埋めなくてもいいよ。』とおもってらしたことだろう。

宮崎県のあの時の悲しみを思うと、いまの『とにかく検査にパスしましたから食べてください、買ってください、放射能はこの位なら影響ありません!』とか『食べて応援』とか同じ国で起こってる出来事と思えん。


たぶん、福島県を中心とした汚染されてると言われてる地域を『汚染されました、除染もたいへんです。すべての損害に見合う補償をするのは到底無理です』と認めてしまうと、失ったものの大きさに卒倒してしまうからなのだろうな……。


森もいまだに、毎日のように倉庫の夢を見るが、しかし奈良で新しい仕事をぽつりぽつりと見つけ、友達も出来たり、ギター弾いたりしてる。確実に時間は経ってる。
少しずつ新しい日本を知ろう。311以前の日本は戻って来ない。宮崎の農家に学ぼう。

こんな論争、国際的に通用するものではないとおもう。いずれ、放射能汚染に無頓着な件についてバッシングされることになるだろう。そのときに『日本人を差別すんな!』と正面から言えるだろうか。このままでは恥ずかしくて言えたもんじゃないと思う。事実だし。すくなくとも、私は言えない。

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