放射能は、あぶない。

久しぶりに他人様のブログを読みふけっていたので、自分のブログも書こうと思い、ログインしてみた。
放置もいいとこだな。

日常のことを少し書こうかな。

とうとうお金のストックがなくなってしまい、フルタイムで働ける仕事を見付けて来て(正規雇用ではないのだが)生活をシフトさせてるところ。
一挙に一定収入のある生活に戻るかと思ったけど、意外にそうはいかなくて、あちこちつまみ食いする感じで半年以上かけて軌道修正するつもり。

仕事をやめるに当たって、ちょっと雇用主と揉めたところもあり、詳細は書かないけど、奈良町に入り浸る時間ががくっと減った。つまんないけど、しかたない。
ツイッターも生活リズムが傍目にわかってしまうので、それもヨロシクないだろうと思い、呟く時間帯も夕方から宵の口にして、身を隠す感じにしてみた。
半年くらいしたら、呟きたいように呟くつもり。

奈良というのは、世界遺産もあるし外国人もおおいので、只の田舎という感じではないけど、やっぱり呑気なところがあって、まあ、このくらいいいじゃないみたいな、甘えの文化がガッチリあるなあ。その、甘えというのを自分は少ししか持ってないので(親様の躾によるとおもわれる)なかなか参加できず、場をシラケさせたりしてる。
そういうのを、やっちゃったな〜と笑い飛ばせるときもあるが、デリケートにデリケートにコトを運んでるところなので、なかなかたいへん。


311以後の日本の社会が、第二次世界大戦末期から終戦のごたごたにかけての時期に気味悪いほど似てるんだが、そこに北朝鮮がミサイル打つの打たんのとか、尖閣諸島がどうだのとかミックスで、極右内閣とか言われてるけど、市民もけっこう心の暗黒と戦ってたりしてる模様。
イギリスのdaily maleで在特会の在日朝鮮・韓国人のヘイトデモが配信されちゃったりしたが、そのほかにも延々と放射能安全だの危険だの、どのくらいならいいだのの論争もつきない。
株価は上がって来てるが、こんな国土の一部が放射能汚染で沈んでんのに、根拠もなく上がって気味悪い。お金はお金だから儲かりゃうれしいもんだけど(株取引はしてない)、バブルの再来だと思うと、あたらしい火種を抱え込んだ気分になってしまう。


そうはいっても、国の方針が原子力立国にまっしぐらなので、しかも選挙の結果の民意だから、ほんとうにしかたねえなーと呆れるだけの日々。
呆れながらギターとかキーボードの練習してる。
まあ、Cコードは放射能に関係なくCコードやからね!。

そんな日々の中、飛行機にさえ乗ったことない自分にも、
『日本は北朝鮮と左程かわらない、飢えてないのと、ネットにアクセス出来るくらい』
というイメージが固まって来て、自分の今までの常識感覚はかなりズレてるんじゃないかと思い始めたところ。

世界はひろいのだー。

あと、やっぱり今更言うことじゃないけど、放射能危険とか安全っていう論争は時間のむだやろう。いまだに自然放射線がどうたらとかいう人いるけどねえ。妊婦はバナナ食べるけど(カリウム摂取)レントゲンとらへんやろ?。
でもなんか意見が出尽くすまで論争するつもりらしい。

福島の甲状腺に異常が見られた子供の数についても、『コップにこれだけしかない』『コップにまだこれだけある』みたいな、印象で終わりそうなデータをスゴーく高度にしたものが展開されてて、ただただびっくり。

武田先生の郡山市での講演会の動画を見たが、あちこちオブラートにつつまれてはいるものの、2年経ってしまったという恐ろしい重さと、最初の汚染がヘヴィーすぎなので、今壊れた原発から汚染が再度広がっても、『さいしょの一撃ほどはない』という旨が語られてて、時間の経過っていう逃れられない要素が日本人に被さって来てると改めて認識した。


2年というのは、長いし重い。今日くらいと思いながら、ここまできてしまったんだよな。もう論争は細分化しきってる。でも根本的に放射能は、あぶないやろう。


一時は左程大した害はなかったのかも、仕事を放り投げて逃げて来てみっともないことしたなと思うこともあったが、最近は少し気持ちが強くなったらしく、やっぱしつき合ってたらあぶない、いつでも逃げ出したり反撃出来るようにしておきたいと考えられるようになって来た。

奈良に来てお金も無くなったが、ようやく心が戻って来たらしい。


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