PCの前に座っていると、いかにも今すぐ世界が滅びそうな気分になってくるが、夕方の奈良町をあるいてきたら、結構活気があって、娘さんたちは笑ってるし、子供はふざけあってるし、男の子たちは(奈良は不思議なことに男の子グループが戯れあってる。パートに別れて歌ってたりする。)不必要なくらいエネルギー掛けてスーパーで買い物してたりする。もちろん、おっちゃんおばちゃんも、楽し気にそぞろ歩いてる。
ここのところ、人の移動ということについてよく考えてる。
自分が30歳のときに上京した時に、まあ、絵を描こうと思って東京に出たんだけど、そのとき『東京に行くわ』と絵を習ってた教室で言ったら、一瞬のうちに透明で分厚い壁が出来、冷たい空気が流れて来て、ああ、あんなに楽しく過ごしてたのにもう全く解りあえない状況になった……と呆然としたことがあった。
その仲間のなかには、ブラジルの帰国子女もいたし、英語やフランス語が出来て海外でも長く暮らしていた教養のあるマダムもいたのに、あの一瞬かき曇った日本的情緒の向こうに行ってしまった。衝撃だったけど、自分にはこなさなきゃいけないタスクが山積みで、それどころじゃなかった。目の前を片付けることと、それ以上に楽しそうな日々が待ってそうで、これからのことを考えることの方が楽しかったので、そっちに意識をもって行って上京作戦をやり遂げることができた。
上京した後、奈良から友達が遊びに来て、話し込んだことがあった。
じぶんは自分のことで精一杯だったが、失礼のないように話したけれど、着地点を仮にでも決めて、一つ一つ物事をこなす生活をしてると、当然だけど自分の意見があるわけで、そのことが彼女の癇に障り、結果的に喧嘩別れのようになってしまった。
そういうわけで、関西とは殆ど90%くらい付き合いのない中で東京生活していた。絵は左程描かず、つぎつぎにカルマがやってくるんで、そればっかり片付けていた気がする。
一言で言ったら、ぼんやり妄想というか想像の中に居た生活から、肉体労働して身体のメンテナンスしつつ、いろんな立場の人と話すようになった。奈良に帰った今もその延長線にいると思う。
311が起こって、奈良に飛んで帰ったとき、なかまに『関西に逃げようと思っても寄る辺がないならうちにおいで』といってきたけれど、いまのところ連絡はない。みんなそれぞれ人生に忙しい訳で、たまに近況報告のメールをくれる友達はいるけど、放射能、なんか困ったなーでも普通に生活してるー、という感じなんだろうか。
ネットをあちこち見て回ると、逃げたけど帰りたいとか、逃げたいのに逃げられないとか、逃げる奴を嘲笑してる人とか、逃げた先で瓦礫拡散反対の運動してるとか、もう多種多様で、日本中何処にもすめないやと嘆く人もいれば、首都圏だったら大丈夫というひともいる。
事故から2年経った今、じわっと一つの想いがある。それは、東京行くんだと言ったらハブにされた自分と、放射能怖いからと言って逃げて来た人たちが(私も当事者だが)かぶるのだ。海外に逃げた人たちの言われようはいっそう酷くて、はたで見ていてハラハラするようなことを言われている。
つまりどうも、日本の情緒のなかには、自分の中から掛け値なしに出てくる幸福追求の欲求というか、単独でさっと行動する人に対する攻撃性が潜んでいて、その鋭さというのが、東電に対する怒りよりも海外に逃げた人に向けるものの方が激しいくらいだということ。
だからといって、逃げやがったと怒る人に『んじゃあもっと根性入れて東電前に座り込みでも行ったらは?』と言うこともなく、PCのまえでじっと『そりゃー原発も爆発するわー』とか考えてる。
最近知った感覚といえば、日本の人は基地問題の沖縄や原発事故でもう誰も住めないだろう有様なのに実質政府に放っとかれてる福島に対して気の毒だなあ、と考えてるけれど、海外から見たら、沖縄や福島は日本の縮図であって、日本全体が基地問題を抱えているし、放射能汚染されてるということ。
ココまで逃げて来たから安心、こっちとあっちという敷居があるわけ。でも大きーく見れば一緒。
もうすこし言うと、まだ自分は当事者だから毎日放射能汚染のことを考えるが、奈良の人たちで311のことをそこまで引きずってる人ってどの位いるのか。首都圏でさえ地震の話はしても放射能の話は出来ないレベルなのに。
事故記憶の風化というのは、ものすごい早さで進んでるかも知れない。
事故の記憶の風化だって?ナンセンス、まだじゃんじゃんふくいちから放射性物質もれてるって!という正気の声はなかなか実生活では聞かない。
ふくいちの事故はM9,0の地震が切欠で、津波で決定的なものになり、出ちゃったものは引っ込めることが叶わず、溶け出した核燃料は遠く旅立ったまま。この冗談みたいな手の点けられない感じは、元はと言えば日本的な情緒が霞や雲で危険性を覆い隠すところから始まったと言える。日本人のいいところなんて全部チャラになって更に追加料金かかるくらい、悪いところが露見してる。まいにち呆然とするばかりだ。
奈良にいれば汚染されてない食べ物も手に入るし、マスクなしでくらせる。ラクチンだと思うが、日本人のぞっとするところを見てると、WW2末期を思い出させるし、まだ50基も原発あるし、もんじゅも100キロ圏内にあるし、ちょっと海外にルートを造っといてもいいのかも知れん、と思い始めた。
飛行機に乗ったこともないし、お金もないのに。英語は片言だし。しかし、日本的情緒にくるまれたまんま、視界がひらけないまんまじっとしてるのもイヤだ。
ロングステイでどこかいいとこないかなあ。
バックパッカーになるほど若くもないし、さればと言ってなにか技術がある訳でもない。
もうじっとしてたいよ、と思うけど、もうちょっと頑張ろうか。
ここのところ、人の移動ということについてよく考えてる。
自分が30歳のときに上京した時に、まあ、絵を描こうと思って東京に出たんだけど、そのとき『東京に行くわ』と絵を習ってた教室で言ったら、一瞬のうちに透明で分厚い壁が出来、冷たい空気が流れて来て、ああ、あんなに楽しく過ごしてたのにもう全く解りあえない状況になった……と呆然としたことがあった。
その仲間のなかには、ブラジルの帰国子女もいたし、英語やフランス語が出来て海外でも長く暮らしていた教養のあるマダムもいたのに、あの一瞬かき曇った日本的情緒の向こうに行ってしまった。衝撃だったけど、自分にはこなさなきゃいけないタスクが山積みで、それどころじゃなかった。目の前を片付けることと、それ以上に楽しそうな日々が待ってそうで、これからのことを考えることの方が楽しかったので、そっちに意識をもって行って上京作戦をやり遂げることができた。
上京した後、奈良から友達が遊びに来て、話し込んだことがあった。
じぶんは自分のことで精一杯だったが、失礼のないように話したけれど、着地点を仮にでも決めて、一つ一つ物事をこなす生活をしてると、当然だけど自分の意見があるわけで、そのことが彼女の癇に障り、結果的に喧嘩別れのようになってしまった。
そういうわけで、関西とは殆ど90%くらい付き合いのない中で東京生活していた。絵は左程描かず、つぎつぎにカルマがやってくるんで、そればっかり片付けていた気がする。
一言で言ったら、ぼんやり妄想というか想像の中に居た生活から、肉体労働して身体のメンテナンスしつつ、いろんな立場の人と話すようになった。奈良に帰った今もその延長線にいると思う。
311が起こって、奈良に飛んで帰ったとき、なかまに『関西に逃げようと思っても寄る辺がないならうちにおいで』といってきたけれど、いまのところ連絡はない。みんなそれぞれ人生に忙しい訳で、たまに近況報告のメールをくれる友達はいるけど、放射能、なんか困ったなーでも普通に生活してるー、という感じなんだろうか。
ネットをあちこち見て回ると、逃げたけど帰りたいとか、逃げたいのに逃げられないとか、逃げる奴を嘲笑してる人とか、逃げた先で瓦礫拡散反対の運動してるとか、もう多種多様で、日本中何処にもすめないやと嘆く人もいれば、首都圏だったら大丈夫というひともいる。
事故から2年経った今、じわっと一つの想いがある。それは、東京行くんだと言ったらハブにされた自分と、放射能怖いからと言って逃げて来た人たちが(私も当事者だが)かぶるのだ。海外に逃げた人たちの言われようはいっそう酷くて、はたで見ていてハラハラするようなことを言われている。
つまりどうも、日本の情緒のなかには、自分の中から掛け値なしに出てくる幸福追求の欲求というか、単独でさっと行動する人に対する攻撃性が潜んでいて、その鋭さというのが、東電に対する怒りよりも海外に逃げた人に向けるものの方が激しいくらいだということ。
だからといって、逃げやがったと怒る人に『んじゃあもっと根性入れて東電前に座り込みでも行ったらは?』と言うこともなく、PCのまえでじっと『そりゃー原発も爆発するわー』とか考えてる。
最近知った感覚といえば、日本の人は基地問題の沖縄や原発事故でもう誰も住めないだろう有様なのに実質政府に放っとかれてる福島に対して気の毒だなあ、と考えてるけれど、海外から見たら、沖縄や福島は日本の縮図であって、日本全体が基地問題を抱えているし、放射能汚染されてるということ。
ココまで逃げて来たから安心、こっちとあっちという敷居があるわけ。でも大きーく見れば一緒。
もうすこし言うと、まだ自分は当事者だから毎日放射能汚染のことを考えるが、奈良の人たちで311のことをそこまで引きずってる人ってどの位いるのか。首都圏でさえ地震の話はしても放射能の話は出来ないレベルなのに。
事故記憶の風化というのは、ものすごい早さで進んでるかも知れない。
事故の記憶の風化だって?ナンセンス、まだじゃんじゃんふくいちから放射性物質もれてるって!という正気の声はなかなか実生活では聞かない。
ふくいちの事故はM9,0の地震が切欠で、津波で決定的なものになり、出ちゃったものは引っ込めることが叶わず、溶け出した核燃料は遠く旅立ったまま。この冗談みたいな手の点けられない感じは、元はと言えば日本的な情緒が霞や雲で危険性を覆い隠すところから始まったと言える。日本人のいいところなんて全部チャラになって更に追加料金かかるくらい、悪いところが露見してる。まいにち呆然とするばかりだ。
奈良にいれば汚染されてない食べ物も手に入るし、マスクなしでくらせる。ラクチンだと思うが、日本人のぞっとするところを見てると、WW2末期を思い出させるし、まだ50基も原発あるし、もんじゅも100キロ圏内にあるし、ちょっと海外にルートを造っといてもいいのかも知れん、と思い始めた。
飛行機に乗ったこともないし、お金もないのに。英語は片言だし。しかし、日本的情緒にくるまれたまんま、視界がひらけないまんまじっとしてるのもイヤだ。
ロングステイでどこかいいとこないかなあ。
バックパッカーになるほど若くもないし、さればと言ってなにか技術がある訳でもない。
もうじっとしてたいよ、と思うけど、もうちょっと頑張ろうか。
コメント