そろそろパスポートをとっておくか、と思って申請について調べてみた。
じぶんは生まれ育った奈良に住んでいながら、何処に行けばパスポートの窓口があるのかも知ってない。何度か聞いたことあるはずだし、他の家族は持ってるので、ほんとうに興味なく生きてたんだなと思わざるをえない。
そのぶん、日本に打ち込んで来たんだよ、とも言えるけど。
日本で平和に暮らす、最大のテクニックは目立たないことだ。
これはもう皆が知ってることで、出る杭は打たれるとか、能ある鷹は爪隠すとかいうけど、遠慮や礼儀は持ちつつ言いたいことをなるべく(あるいは図らずも、または如何ともしがたく)言って来た自分は、常に居場所が安定していない。
やりたいことを、やりすぎなんだよ。
しかし、アセンションの波というのが一番手っ取り早いけど、自分のことを偽り続けることの代償のでかさは、もう無視出来ないほど大きくなってるなあ、としみじみ。
職場にとても日本人的な善良きわまりない女の人が居るが、めだたない、さしでがましいことはしない、多方面の意見に同時にうなずく、何時も一番下座につく(そうすれば責任の順番がまわってこない)と言うことを徹底的にするので、新しく配置換えになってチームに入って来た人の存在もさりげなく無視してる。排他ですね。
なんでかなー、自分はヘルプしてほしいのに、ひとにはヘルプできないのね……というと、おそらくは『じぶんが一番新人でいたい、そうすれば無責任で居られるから』ということかな。
そして、ものすごーく苦しんで仕事してる。端から見てたら驚くくらい葛藤しながら、頑張ってるわたし、涙の数だけ幸せになれる、みたいな苦しみよう。
悪趣味かな、とおもいながら、ふーんと眺めてます。
ほかにどうしようもない。いままでさんざん『参加しようね』『分担作業だから自分の分はしようね』と言って来てそれなんだから。
たぶん、彼女達の努力のシステムを巨大にしたのが、原子力ムラとか日本政府なんだと思う。日本人が一定数いると原発が動く法則でもあるのか、とツイッタで皮肉を言ったが、彼女たちと同じ生き方の人が大勢いるからこそ、このナンセンスな仕組みはいまだに巨大な歯車をまわしてるんだと思われる。
ある日、そういうことの不毛さに気付いて、生き方を少しずつでも変えるだろうか、というと、難しいんじゃないかな。なにしろ、日本の女性は大抵、才能を伸ばしたり意見を持ったりすると、愛されなくなると思い込んでいるので。それは野垂れ死にコースにほかならず、死ぬと解ってるのにそんなこと出来るわけないと心は判断するだろう。
放射能は危険、と言ってしまうと周りの人から村八分というのと、全く同じだ。
金曜日の関電抗議にいくと、みんなまだ日本の国に希望を持ってるんだ、失礼なことしちゃだめだな、と思う。もう自分は只の毒吐きしか出来ない。
そしてすぐ海外に行くぞと思うが、それは多分、根なし草であるからできることで、ご両親の介護をしたり、お商売をしてたり、ハンディキャップがあったり、難しい病気をもってたり、なんやかや、日本にいるしかないという事情があって、日本に善くなってもらわないと本当に困るという人が圧倒的に多いのだと思う。
じぶんは非情なところがあって、福島の人の『避難の権利』というのが理解できない。引っ越しゃいいじゃんと思ってしまう。これもまた人それぞれの事情で動けないのだろう。
ホットパーティクルが時間の経過によって核種を変えて行くプロセスを端折れないように、人の心の移ろいも端折れないのかも知れない。そして、前述した古来からいる日本人の純粋きわまりない無責任の集大成である日本政府と原発はやはり、それに匹敵するくらいはっきりと存在し続けるのであろう。
じぶんが海外に行ったら、戻ってくんなの大合唱か、やっぱり逃げる奴はいつまでも逃げ続けるんだなとか、あれは芯から無責任であったとか言われるのはわかる。でも本当のとこ、311以後、取り返しのつくことがあっただろうか。
おそかった、正力松太郎とか中曽根康弘とかいう人が出て来た頃なら、間に合ったかも知れんとたまに思う。
でもなるべくして、今の日本になってしまったのかな。戻る道も失ったのかな。
責任を持とうとした人の後ろには道筋が出来ても、無責任の後ろには獣道すらできないだろう。ふり返っても方角さえつかめないような不毛の土地が広がってるだけだろう。
最近はそんなことを考えてる。
じぶんは生まれ育った奈良に住んでいながら、何処に行けばパスポートの窓口があるのかも知ってない。何度か聞いたことあるはずだし、他の家族は持ってるので、ほんとうに興味なく生きてたんだなと思わざるをえない。
そのぶん、日本に打ち込んで来たんだよ、とも言えるけど。
日本で平和に暮らす、最大のテクニックは目立たないことだ。
これはもう皆が知ってることで、出る杭は打たれるとか、能ある鷹は爪隠すとかいうけど、遠慮や礼儀は持ちつつ言いたいことをなるべく(あるいは図らずも、または如何ともしがたく)言って来た自分は、常に居場所が安定していない。
やりたいことを、やりすぎなんだよ。
しかし、アセンションの波というのが一番手っ取り早いけど、自分のことを偽り続けることの代償のでかさは、もう無視出来ないほど大きくなってるなあ、としみじみ。
職場にとても日本人的な善良きわまりない女の人が居るが、めだたない、さしでがましいことはしない、多方面の意見に同時にうなずく、何時も一番下座につく(そうすれば責任の順番がまわってこない)と言うことを徹底的にするので、新しく配置換えになってチームに入って来た人の存在もさりげなく無視してる。排他ですね。
なんでかなー、自分はヘルプしてほしいのに、ひとにはヘルプできないのね……というと、おそらくは『じぶんが一番新人でいたい、そうすれば無責任で居られるから』ということかな。
そして、ものすごーく苦しんで仕事してる。端から見てたら驚くくらい葛藤しながら、頑張ってるわたし、涙の数だけ幸せになれる、みたいな苦しみよう。
悪趣味かな、とおもいながら、ふーんと眺めてます。
ほかにどうしようもない。いままでさんざん『参加しようね』『分担作業だから自分の分はしようね』と言って来てそれなんだから。
たぶん、彼女達の努力のシステムを巨大にしたのが、原子力ムラとか日本政府なんだと思う。日本人が一定数いると原発が動く法則でもあるのか、とツイッタで皮肉を言ったが、彼女たちと同じ生き方の人が大勢いるからこそ、このナンセンスな仕組みはいまだに巨大な歯車をまわしてるんだと思われる。
ある日、そういうことの不毛さに気付いて、生き方を少しずつでも変えるだろうか、というと、難しいんじゃないかな。なにしろ、日本の女性は大抵、才能を伸ばしたり意見を持ったりすると、愛されなくなると思い込んでいるので。それは野垂れ死にコースにほかならず、死ぬと解ってるのにそんなこと出来るわけないと心は判断するだろう。
放射能は危険、と言ってしまうと周りの人から村八分というのと、全く同じだ。
金曜日の関電抗議にいくと、みんなまだ日本の国に希望を持ってるんだ、失礼なことしちゃだめだな、と思う。もう自分は只の毒吐きしか出来ない。
そしてすぐ海外に行くぞと思うが、それは多分、根なし草であるからできることで、ご両親の介護をしたり、お商売をしてたり、ハンディキャップがあったり、難しい病気をもってたり、なんやかや、日本にいるしかないという事情があって、日本に善くなってもらわないと本当に困るという人が圧倒的に多いのだと思う。
じぶんは非情なところがあって、福島の人の『避難の権利』というのが理解できない。引っ越しゃいいじゃんと思ってしまう。これもまた人それぞれの事情で動けないのだろう。
ホットパーティクルが時間の経過によって核種を変えて行くプロセスを端折れないように、人の心の移ろいも端折れないのかも知れない。そして、前述した古来からいる日本人の純粋きわまりない無責任の集大成である日本政府と原発はやはり、それに匹敵するくらいはっきりと存在し続けるのであろう。
じぶんが海外に行ったら、戻ってくんなの大合唱か、やっぱり逃げる奴はいつまでも逃げ続けるんだなとか、あれは芯から無責任であったとか言われるのはわかる。でも本当のとこ、311以後、取り返しのつくことがあっただろうか。
おそかった、正力松太郎とか中曽根康弘とかいう人が出て来た頃なら、間に合ったかも知れんとたまに思う。
でもなるべくして、今の日本になってしまったのかな。戻る道も失ったのかな。
責任を持とうとした人の後ろには道筋が出来ても、無責任の後ろには獣道すらできないだろう。ふり返っても方角さえつかめないような不毛の土地が広がってるだけだろう。
最近はそんなことを考えてる。
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