42歳になりました。

毎年、誕生日には何歳になりましたという記事を書いてるんだが、今年はそれどころじゃなかったなあ。
世間で喧々諤々の特定秘密法案が可決成立という流れのまっただ中だったから。

そんなわけで、5日に42歳になりました。おかげさまと言う他なく、日々こつこつやる姿勢に変更はありません。

年々、政治的なことを床屋政談的にするようになったが、わたしごとき高卒おばさんですら行動せねばならぬくらい、最近の日本は不穏。いったいどこで日本は狂い始めたのだろうか、と特に311以降毎日のように考えている。

今年はがめさん@gamayauber01さんのツイートやブログで日本語にひそむ魔物の存在を確認出来たので、もしかしたら日本語が原因なんだろうか、とおもったり。

日本語でなにか議論しても、どんどん絵空事になっていくのは概念をまず定義しないせいだとか、現実を見ないせいだとか、前にも言ったけど平安時代に和歌詠んで喧嘩したみたいな『フィクションでノンフィクションを語ろうとする』傾向があって、日和の話ならともかく、原発事故なんかの具体的な議論には全く向いていない。

待ったなしの状況を、『時間稼ぎする』『責任逃れする』『問題そのものが無かったことにする』の伝統的やり方で乗り切ろうとする社会のムードに徒労感満載なのだが、とうとうそういう愚痴も特定秘密保護法案が施行されれば言えなくなってしまう運びになった。

デモにいくと、特定秘密保護法案のことが話題になる。『安倍という人のバックに居る人たちが……』という話になって、多分それって原子力ムラとか、経団連とかかなと思うけど、今私が『バックに居る人』でイメージすると、一般市民なわけ。それは脱原発とか特定秘密保護法案を廃案にして欲しいとおもってる人達とはもちろん違って、原発や放射能は安全なんだと思いたい人たちじゃないかな。

胸の中でもやもやしてても、確信もてずに311以降生活を変えることが出来なかった人たちのこと。
その人たちが持っている、本来自分の幸せのために100%使えるはずのエネルギーを奪って、今の日本政府は動いてると思う。税金で動いてんだよというのは、まあその通りなんだけど、見えない支持者としてカウントされてると思う。

これだけ反対運動がおこれば、ふつうの感覚を持つ人であれば、(程度は知らないが)憔悴して当たり前だけど、あの余裕っぷりを見れば、どうも『俺には支持者が沢山いるのさ。放射能は安全だと証明してる人たちのためにもやってるのさ。』という確信があるんじゃないだろうか。

地震や台風で災害列島なのに、さらに原発まで抱え込んでる国土に立って、人の心の自由までうんぬんするようになれば、新しい力が沸いてくるはずもなく、どんどん弱っていくばかりだと思う。
だから、個人の生活でいえば、もっと今まで以上に自分の感性というか、本能を鍛える事が必要になるし、体力をつけて負担を減らしていくほかない。
語学も必要だけど、あたまでっかちに勉強したってしかたない。

まず無駄に放電してるとこを締めて、自分のことにエネルギーを注げるようにならないと、余裕はもてない。
余裕がなくなれば、共食いが始まる。そのあとは、自分の手足を齧り始める。そうなれば、本当に終わりだ。

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