議論のための議論を手放そう。(311からもうすぐ3年)























昨日付けのツイートだけど、今のところの考えが良くまとまってるなと判断したのでブログに載っけてみた。
これは311以降、多くの日本人がまっぷたつに別れて、放射能安全だの危険だのと騒いで来た事について、騒動のただ中にあると見えないが、少し引いた場所から見えた、放射能のある暮らしの着地点だと思う。異論は沢山あるだろうけど、主観のメモブログなのでご容赦いただきたい。


地震国、地震の巣でありながら54基もの老朽化した原子力発電所を抱え、そのうち4基が爆発し、国土は東日本の広範囲にわたって放射性物質(死の灰)が汚染しているという状況を、あれやこれやと条件付けして運営してる日本という国は、安倍政権という極右政権にひきずられるようにしてファシズムに邁進している。

もともと、国民を見捨ててなければ原発など乱立出来なかったろうと思うのだが、核と自然災害のしっぺ返しを受けた。政府はごまかしのために放射能を拡散する手段に出たが、それは人々の心の中にまで及んでいる。


もうすぐ311から3年という月日が流れようとしてるが、日本の国は福島の人たちの苦しみも国土が汚染されたという事も、徐々に忘れていってると感じる事がある。

ツイッタを観れば、個々人のやむにやまれぬ心の吐露が散見されるし、各地で抗議デモは定期的に行われている。選挙のたびに投票率を上げようと促したり、候補者の応援をしてるので、まだまだ人心はファシズムに喰われていないのではないかと思うのだけど、私の中には『個人よ、独立していて欲しい』という希望が入ってる。

自分のネガティヴな意見は、志のある人たちに水をかけてるようなもので、安倍政権を助けてるんじゃないかとさえ思う。
それでも選挙のたび投票率は低いままだし、両陣営が互いに評して使う言葉の下品さ、議論の堂々巡り、同じ脱原発同士でも細部の意見の違いを認めないという現実をみると、壮大な時間つぶしを国民全体でやってるようにしか見えない。


原発事故に関しては、初動の間違いがすべてを狂わせてしまった。『直ちに影響はない』という言葉は日本を終わらせた。森は今後のことを考える時、

国民はあらかじめ見捨てられていた。
原発事故の初動の狂いが日本を終わらせた。
今は国民総出で時間つぶししている。

ということを根拠に入れていこうとおもう。
そこを『いやいや、もっとソフトに世の中観ようよ』とすると、論理立てて考える事はできなくなるだろう。そのうえで、自分の人生を暗くて怖くて残虐性に満ちた牢屋に入れるのではなくて、開放的で知性が感じられるところに、ほんの少しでもシフトさせていきたい。




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