私はいつも、『日本の社会』と抽象的な書き方するけど、まあ、そんなに世間を見てるわけではなくて、職場とか、ツイッタとか、通勤のあいまとか、まあそういう小さなレンジのことなのね。
自分が、いつもいつも、日本の社会信用ならねえと言うのだが、その分やはり、自分も社会の方から『こいつは信用ならねえ』と思われてて当然で、先日も森当人の居ないところの会話で、信じがたい話を聞いた青年が『それって森さんの虚言でしょ』と結論したという、開いた口が塞がらん事案があったが(後ほど本人にも言われた。たしなめられましたよ。虚言すんなという旨。)やはり、ものすごく自分て胡散臭いんだなあと思わざるを得ない。
(一応言うが、虚言はしてない。勘違いで違うことをいうことはあっても。)
ツイッタの放射能安全/危険の論争をみてきて、ある程度免疫ついてると思ってたが、それは結構堪える事件で、まだ心の中で決着はついてないのだけど、そのことを発端に、自分が奈良であれ東京であれ、自分の話を信じて欲しいと切実にかんがえてたことを思い出させた。じぶん、どんだけ信用ないねんと。
ことここに至っては、もう日本には居られまい、ヨーロッパか南米いくぞう、と思ってwebを見渡すのがホビーになってる。
でもね。
自分でも解るんだけど、たぶん、ヨーロッパか南米に無事行けたとしても、そのときはもう、私は自分のことを一生懸命には、少なくとも日本にいたときよりは、話さなくなると思う。意見はもつし、考えもするし、時には話すだろうけど、外国では、森の意見はきっと幼稚くさすぎて、イミフで、通用しないのではないかしらん。
意見だ考えだと言ったところで、基準が日本仕様なんだもの。
もっと若い頃に出かけるならまだしも、42歳だし、おかねも左程ない。せいぜい、いち旅行者として、お客さんとして存在するのが関の山であろう。
そのかわり、いままでよりずっと、人の話を聞かざるを得なくなるし、観察を深めて行くことになるだろう。
自分が、いつもいつも、日本の社会信用ならねえと言うのだが、その分やはり、自分も社会の方から『こいつは信用ならねえ』と思われてて当然で、先日も森当人の居ないところの会話で、信じがたい話を聞いた青年が『それって森さんの虚言でしょ』と結論したという、開いた口が塞がらん事案があったが(後ほど本人にも言われた。たしなめられましたよ。虚言すんなという旨。)やはり、ものすごく自分て胡散臭いんだなあと思わざるを得ない。
(一応言うが、虚言はしてない。勘違いで違うことをいうことはあっても。)
ツイッタの放射能安全/危険の論争をみてきて、ある程度免疫ついてると思ってたが、それは結構堪える事件で、まだ心の中で決着はついてないのだけど、そのことを発端に、自分が奈良であれ東京であれ、自分の話を信じて欲しいと切実にかんがえてたことを思い出させた。じぶん、どんだけ信用ないねんと。
ことここに至っては、もう日本には居られまい、ヨーロッパか南米いくぞう、と思ってwebを見渡すのがホビーになってる。
でもね。
自分でも解るんだけど、たぶん、ヨーロッパか南米に無事行けたとしても、そのときはもう、私は自分のことを一生懸命には、少なくとも日本にいたときよりは、話さなくなると思う。意見はもつし、考えもするし、時には話すだろうけど、外国では、森の意見はきっと幼稚くさすぎて、イミフで、通用しないのではないかしらん。
意見だ考えだと言ったところで、基準が日本仕様なんだもの。
もっと若い頃に出かけるならまだしも、42歳だし、おかねも左程ない。せいぜい、いち旅行者として、お客さんとして存在するのが関の山であろう。
そのかわり、いままでよりずっと、人の話を聞かざるを得なくなるし、観察を深めて行くことになるだろう。
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