まだ、聖堂の扉に手もかけていないのに、懺悔室のことなどを考えている。
懺悔室について森が知ってることと言えば、カトリック教会に特有のものであること、神父は懺悔された内容を世間に漏らさないこと、大昔はしょ〜もないことでも懺悔されられていたらしい、神父の受け答えは大概マニュアルのようなものがある……くらいかな。
後悔だの反省だのというのは個人でやるものであって、そんなの宗教団体に世話されるようなもんじゃねーよ、とつい先日まで考えていたのだが、昨日仕事中にふと(←こればっかりやな)思うことがあったのだ。
たとえば、人生においてど〜しても距離をおけない人間関係というものがあったとして、(逃げればいいじゃんと思うが、まじ半身不随とか、難病で介護したりされたりしてるとか)そこに幾度となく同じ過ちが行われてたとする。
その度に人生が転覆しそうな気配が濃厚になりつつも、あの手この手で危険を回避したり、みずからカヌーが潜水艦みたいになるトランスフォームを繰り出したりして、命をつないでいたとする。
で、あまりにも同じネタで攻撃されたのち、情で丸め込まれ、イミフな屁理屈で常識から遮断され、無力感を植え付けられ、なあなあで笑いのネタにされ、問題がなかったことにされて、日常が続いていってるとするわね。
あるとき、また事件勃発したとして、『もう今度という今度は堪忍ならぬ。』と自分がどれだけ迷惑をこうむってるか、腹を立ててるかを申し立てたとするじゃん。で、いつも通りのパターンで相手が……という時にさ、
『ウチらの間で話し合っても埒はあかぬし、そっちのいい分は詭弁でしかない。どうしても関係を続けねばならぬのはわかるので、態度を改めて欲しい。そのために第三者の証人を立てる』
と言い放ったとする。
森も何度かこういうしょーもない目に遭ってる。本当に煮詰まってくると相手がナマクラな反省してもこっちの怒りは納まらないし、結局同じよーに無かったことにされるので、相手が『ごめん』と言ってもそれは『ごめん』の意味ではないことが解る。だからもう、ごめんとか別にいいから普通にしろよ、という話になるのだが、相手はゴメンで済ませてナマクラするのが目的なので、絶対、聞き入れない。
そこで、懺悔室という発明は凄いと思うのだ。
森は次から『私にあやまるな、懺悔室行ってこい』と言おうと思う。情を両天秤にしたジャッジは百害あって一利なし。
両者の間で芋虫みたいにもそもそ喧嘩しててもしかたない。
懺悔室にいって懺悔しても、反古にするやつは反古にする。でもその時は神様もからんでるので、問題は少しずつ異なって行くと思う。神様なんて気休めなんだと言われればそれまでだけど。
ま、カトリックの人にこーゆー懺悔室の使い方してる人は居ないだろうけどね……。
懺悔室について森が知ってることと言えば、カトリック教会に特有のものであること、神父は懺悔された内容を世間に漏らさないこと、大昔はしょ〜もないことでも懺悔されられていたらしい、神父の受け答えは大概マニュアルのようなものがある……くらいかな。
後悔だの反省だのというのは個人でやるものであって、そんなの宗教団体に世話されるようなもんじゃねーよ、とつい先日まで考えていたのだが、昨日仕事中にふと(←こればっかりやな)思うことがあったのだ。
たとえば、人生においてど〜しても距離をおけない人間関係というものがあったとして、(逃げればいいじゃんと思うが、まじ半身不随とか、難病で介護したりされたりしてるとか)そこに幾度となく同じ過ちが行われてたとする。
その度に人生が転覆しそうな気配が濃厚になりつつも、あの手この手で危険を回避したり、みずからカヌーが潜水艦みたいになるトランスフォームを繰り出したりして、命をつないでいたとする。
で、あまりにも同じネタで攻撃されたのち、情で丸め込まれ、イミフな屁理屈で常識から遮断され、無力感を植え付けられ、なあなあで笑いのネタにされ、問題がなかったことにされて、日常が続いていってるとするわね。
あるとき、また事件勃発したとして、『もう今度という今度は堪忍ならぬ。』と自分がどれだけ迷惑をこうむってるか、腹を立ててるかを申し立てたとするじゃん。で、いつも通りのパターンで相手が……という時にさ、
『ウチらの間で話し合っても埒はあかぬし、そっちのいい分は詭弁でしかない。どうしても関係を続けねばならぬのはわかるので、態度を改めて欲しい。そのために第三者の証人を立てる』
と言い放ったとする。
森も何度かこういうしょーもない目に遭ってる。本当に煮詰まってくると相手がナマクラな反省してもこっちの怒りは納まらないし、結局同じよーに無かったことにされるので、相手が『ごめん』と言ってもそれは『ごめん』の意味ではないことが解る。だからもう、ごめんとか別にいいから普通にしろよ、という話になるのだが、相手はゴメンで済ませてナマクラするのが目的なので、絶対、聞き入れない。
そこで、懺悔室という発明は凄いと思うのだ。
森は次から『私にあやまるな、懺悔室行ってこい』と言おうと思う。情を両天秤にしたジャッジは百害あって一利なし。
両者の間で芋虫みたいにもそもそ喧嘩しててもしかたない。
懺悔室にいって懺悔しても、反古にするやつは反古にする。でもその時は神様もからんでるので、問題は少しずつ異なって行くと思う。神様なんて気休めなんだと言われればそれまでだけど。
ま、カトリックの人にこーゆー懺悔室の使い方してる人は居ないだろうけどね……。

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