津軽海峡を背負った女。

3月一杯で仕事を引き上げることにした。
12月15日に入職してるから、3カ月半きっかり。毎日のように『もう辞めよう』と思うほど合わない仕事だったが、なにがどう合わへんねん、とか説明出来ないとゆーか、根本のセンスが全く合わないところであった。
かいつまんで言うと、ああ順調に廻ってるなああ、よしよしと思ってるところに『でも、現状ちゃんとまわってないですよね?』とツッコミが入るというレベルで、努力がどうのとか、体力がどうのという問題では全くなかった。完敗である。

そういう日々のなかでも、自分の思考の中に今も津軽海峡が存在してるのを発見したりとか、楽しいことがあった。

津軽海峡とはなんぞやというと、まだ神奈川にいたころ、フォークやトラッキーに乗ってヒステリックに仕事してた日々、北海道向けの荷物の搬送の重大なポイントが、『津軽海峡を渡るフェリーに間に合わす』ということで、そのフェリーに間に合わなかった場合、青森側で次の便をまつということになり、荷物の到着が一日遅れてしまうという懸案が発生するのであった。

で、最終積み込みが行われる時間帯になると、荷物の梱包が出来次第、トラックへの積み込み箇所に持っていくというのが第一になり、フォークなんかは燃料の関係があるからムダに走るのを避けるのが基本のキなんだけど、それは置いといて、兎に角走るという状態になるわけ。

だから、梱包完了のものがあればふつーに移動させるという思考の癖や、空台車は一カ所に寄せておくとか、ダンプ(取りあえず空きスペースに集積しておく)とかいうフォークマンの癖がどーしても抜けきっておらず、指摘を受けても意図が汲めないという期間があった。ま、気がついてからは随分楽になったと思うけど。

まあ、全国にどのくらいフォークマンが居るのか知らないが、津軽海峡を無事に渡すというために今日も走ってる人が一定数居るという事を考えると、なにやらしみじみするものがあるなあ。
みんな頑張れよう。

で、そういう日々の中、仕事を辞めるのはカンタンでも、次の仕事を見つけるのに時間を作るというのは割と難題で、休みの日は寝てばかりだったというのもあるし、ペイがよかったのも、『頑張って続けなよ』と言ってもらってたのもあり、なかなか踏ん切りが付かなかったのだが、月になんどかは身体がしんどくて休むという状態になるにつけ、このままでは自信をなくしてしまう!と思い、なんとか近場で仕事(派遣だけど)を探して来る事が出来た。

お給料は減るのだが、奈良に居た頃よりはいいし、家賃の安いところに住んでるし、まあ何とかなるかなあという考え。

この仕事をしてた間に、ブログは放置になるし、語学も途切れがちで全くしない日もあるし、ギターやフィドルに至っては埃を被るという状態になってた。そこんところをきちんとしよう。あと、食事がコンビニだよりになってて、自炊と言っても蕎麦とかトーストくらいで、そんなのは料理とはいわぬ!有様なのだが、お給料が減る事もあるし、ぼちぼちと自炊を再開しようと思う。



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