クリア、ファイン、メランコリア。

仕事を4月アタマに変わって、生活に時間の余裕が出来たはずなのに、やれてる事と言ったら、フィドルの練習くらいだ。

新しい仕事は、前の仕事ほど自分の劣ってる感じに苛まれずにすむけど、自分に合ってるはずの物流のしごとなのに、こんな事してていいんだろうか、と思うことがある。結論はでてないけど、確実に解ってるのは『生き方を変える時期がきた』ということで、なんとなくアタマをよぎるのは『絵描きになろう』と思って上京したのをきっかけに、絵を描かなくなったという自分の経歴だ。
絵の代わりに工場や倉庫で働いて、フォークリフトの免許を取ったりしてた。
今も『工場沢山あるから食いっぱぐれないだろう』と思って鈴鹿に来たはいいものの、もう工場も倉庫も無理っぽいと思い始めてる。

年齢による変化だろうか。体力的には、今の仕事は一日3万歩ほど歩く。一日かけて無心に3万歩なら出来るだろう。これが連日になったり、仕事であるという意識があると、当然ながら『娯楽ではないので、疲れる』。
この動きを20代の自分なら出来ただろうか。
30代なら?。
やっぱり、昔の自分も今と同じ事を言うと思う。

意識や精神的な働きによる変化だろうか。

自分が一番クリアな意識をしてるのは、PCの前に座ってツイッタしてるときかなと思う下らなさだが、昼間歩き回ってても、聞き間違えや読み違え、見間違いなどがあるから、五感を頼りにするより経験則を頼りにする事が増えて、そのへんで『年取ったな〜』と思うことはある。

さいきん一番困ってるのは、やたらマウンティングが流行してるということで、世の中が荒んでる証拠だなあと感慨深いのだが、その対応がとてもへたくそで、気がつけばのび太君みたいなポジションに居るようだ。
のび太くんポジションで一番こまるのは、自分のあらゆる意見が『お前に言われたくねーし』とか『お前よりまし』みたいな磁気を帯びた反応を招くことで、えーわい、もー黙ってるしとか思うことがある。

世界の価値はそこにないしね。

ただまずいな、と思うのは例えば自分でも深刻なミスをしても『どーせ世間は森を雑魚と思ってんだから、気に病むこたねえ、世間の期待通りの事をしちゃっただけなんだから』と思う心が発生するという事で、それはやっぱり、まずい。まずいとしか言いようがない。

やっぱ人生は学習でしょう。

ブラック企業が常態化して、ブラック社会とかブラック国家になってるが、ブラックの温床ってここら辺にあるんじゃないかしら。マウンティングの流行な。とくに説得力なくてもマウンティング上手ければという……それは虚仮威しに過ぎないんだけど、虚仮威しなくしてブラック団体なし。

などと考えが逸れてしまうが、森の現状はそんな感じでぱっとしない。外国にさっさといかないからだという気もするが、今の森にはスワンボートを操舵するのも難しいだろう。

もしかしたら、マウンティングが上手くなれば、工場や倉庫でもやっていけるのかも知れん。でもそうはなりたくないしな〜。

マウンティング流行りの最近だけど、じゃあその逆ってなんだろうと思ったら、リスペクトじゃないかしら。日本はリスペクトがないので有名な社会だから、リスペクトが広まった世の中って想像しがたいけど。

もしかしたら森の活路はリスペクトという考え方にあるのかも知れん。そこが突破口になるかもしれん。






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