原発が再稼動した日に。

投げやりに浅く『鈴鹿に来てから、面白くねえな』と思うことがある。もちろん、鈴鹿が悪いんじゃなくて、自分が面白くなくなってるという事。
また知らん顔して、気分かえて、仕事かえて、もう一度始めたら何とかなるかもしれんし、このまま肉体労働もしてられぬので(しんどい)早めに手を打った方がよさそうだ。

あと、世の中の話というのを、webでしかしなくなった。現実に誰かと対面して『景気のこと』『政治のこと』なんかは話さなくなった。それも心に影響してるかもしれない。

とはいえ、それは奈良と三重の環境の違いというよりは、時勢が変わったということのほうが大きいかも。
今日は鹿児島県の川内原発一号機が再稼動したしね。
自分は何度か書いたけど、立地市町村がOK出せばもう歯止めらしい歯止めは存在してなくて、政府は再稼動の為のチェックが厳しいとかどうとか言ってるけど、再稼動ありきのチェックなわけで、なんで再稼動ありきなのかというと、備蓄されたプルトニウムが怪しいほどたくさんあって、それに説明がつかないという事情もあるんだろう。(というtwがあった)
何もかも戦争、軍備の為なんだなあ。でもさればといって正規の軍隊を作るつもりはなく、集団的自衛権を、憲法改正じゃなく解釈一つで作るつもりなんだよな。

付け焼き刃で戦争したがるのね。戦争というより、強盗やろと思うけど。
でも戦争になったら、不十分な装備で兵隊さんが連れて行かれるのは不憫でしかたないので、装備と訓練と組織はちゃんとしてくれと思う。戦争賛成なのかというと違うけど、やるならちゃんとしろよというのが、森の意見です。
たぶん、日本政府にちゃんとした軍隊を持つというのは無理ちゃうかしら。

日本人には宗教と戦争と核のアレルギーがあると思って来たけど、それはものすごくマイナスの受け皿があるがゆえの過剰反応だったのかしらと思うことある。
誰かを崇拝したり崇拝されたい、コントロールされたりしたりしたい。ホモソーシャルからの圧迫で強盗にみんなで行きたい、これ以上はないほどの暴力である核を手にしたい。
そういう欲望がすごく強い国民性かなと思います。

相変わらず、ヒマさえあればツイッタを見る毎日なんだけれど、ツイッタというのは言わずもがな、関心のあることをフィルタリングするわけで、議論下手ゆえにイエスマンばかりを寄せ集める結果になってしまい、自分のクラスタが世論なのだと思い込む構造になっていて、薫陶を述べる人に薫陶を述べているというと(エアリプでさえ)ブロックされるというコトが日常茶飯事になっている。つまり、世間をサンプリングするためにツイッタをしていても、いつの間にか徒党をくんでるという有様になりやすい。日本語ツイッタしてるとファシストになるぞ!くらいの勢いである。

もう一言で言えば『末期』です。

母語だから一番使いやすく馴染みがあるけど、母語を使って自分の懸念を述べるのも難しく、仕事でも使い辛いので、心がどんどん飢えて行く。たぶん自分だけじゃないだろう。

またもや愚痴だらけになってしもうたが、件のブロックで、左程熱心に見ていたわけでもない、たまにTLに流れてくる程度だが『リベラルのリーダーでさえファシスト』(本人はアンチファシズムだから怒るだろうけどさ)だということが解ったので、もう右翼左翼リベラル関係なく、国会前や官邸前に集う人たちの運命を心配する必要も無くなった。これは一つの解放だと思って歓びたい。

そろそろ勇気をだして、新しい職場を見つけなくては。





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